ミテンの本棚 > みやざき風土記 | ||||||
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![]() ![]() 昭和40年代頃から伝統的な正月料理にエビやゴマメ、栗きんとん、黒豆、辛子レンコンなど縁起の良い食物が加わるお節料理を作るようになった。 エビ(海老)は長寿の象徴、黒豆はまめまめしく、ゴマメは田作りとも言いめでたいもの、栗は勝栗であり出陣や勝利の祝い、レンコンは先の見通しがよいなどである。 尤も伝統的な正月料理にも祝儀を意味するものがある。芋は親芋にたくさんの子芋が付くことから子孫繁栄、数の子も子宝に恵まれる、煮豆はまめに働く、昆布は喜ぶなどと言った。 ![]() 元日は特別何もしない。朝食も普通の食事、御節料理は食べない。何もしないので「寝正月」という地方がある。家族揃って大晦日にご馳走を食べ、翌朝の元旦は普通の食事で済ませるというものである。県北部延岡や県中部西都市などは大晦日の夜に年取り膳(としとりぜん)を上座で食べ、元旦は静かに過ごすというのである。 これは古い形の正月の迎え方で、1日の始まりは前日の夕方(現在は午前0時)から始まる、つまり大晦日の夕方から正月が始まるという考えである。大晦日の夕方に歳徳神を迎え年取り膳を食べるもので、翌日元旦は飯も炊かず前夜の残りを食べる。これは古来の習わしで歳徳神の供物がもともと正月料理の本義で、大晦日の夜は未明まで起きていて、神社や寺院に参詣し年籠(としごもり)をするのである。明けて元旦は雨戸を全部開けず、掃除も炊事もせず、風呂にも入らない。子ども達が騒ぎ立てることも戒め一日静かに過ごした。これは祖霊を祀り忌み籠るという古い慣わしを伝えるものと言われる。 現在も元旦に掃除しないとか風呂に入らないなどの風習を伝えている家はある。 昭和30年代頃までは、元日に店やデパートは開いてなく、映画館も休みであった。日本国民全てが年の始めを静かに祝ったのである。町へ遊びに行く風習も無く子ども達は羽根つきや凧揚げで正月を過ごした。 ![]() 昭和初期まで両村は焼畑で収穫する里芋が重要な主食の一つであった。正月に里芋だけを食べる風習は、里芋に何らかの意味づけがあったものと思われるが、雑穀や稲作がわが国に伝わる以前、里芋が焼畑の最も重要な食糧だったからではないかと考える。 |
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2011-12-27 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長 現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員 ![]() 『鵜戸まいりの道』(私家版) 『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社) 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 【共著】 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史 民俗編』 『北浦町史』 『日向市史』 『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店) 『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社) |
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