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みやざきの近代を読む
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No.16 初期宮崎県の頃【2】 ~ 人々がつながっていく
籾木郁朗 ( 宮崎県地域史研究会 )

人はそれぞれがつながることによって集団を形成し存在を確認する生き物だから、古代から人同士がつながる手段を模索してきた。日本は戦後高度経済成長を成しとげ、現代の日本人は生活の様々な面で便利さを享受しているが、そのスタートは明治時代にある。私たちが遠くの人とつながる身近な手段である通信や運搬は、明治時代から発達したからである。そして、近代日本の社会では、世界とつながることによる空間・時間の縮小と、個人レベルでの世界の拡大が同時に行われてきたのである。

 近世(主に江戸時代)の代表的な通信手段といえば”飛脚”(ひきゃく)をイメージされる方が多いだろう。確かに”飛脚”は重要な通信手段であった。幕府や大名が使う公用の飛脚(継飛脚、大名飛脚)と、一般の武士や町人が利用する民営の町飛脚などに分けられ、大都市(当時は江戸・大坂・京都の三都)を結ぶ路線が充実した。”飛脚”が発達したのは、五街道をはじめとする主要道路が整備されたことが背景にある。街道には宿が設けられ、宿場町ができた。その宿を結ぶ陸上輸送手段が”人馬継立”(じんばつぎたて)であった。また、港を結ぶ廻船(かいせん)も代表的な輸送手段であり、大量に物資や人を運ぶことができた。ところが、これらの輸送・通信手段は、幕末にいたり幕府の力が弱まったこと、交通・通信量が増加したことなどから機能しなくなってきていた。明治政府は政治・経済的な必要性と機能回復のため、外国の制度を模倣しつつ改革を行ったのである。
 そして、陸上輸送と通信手段の改革が宮崎に入り込んできたのが、ちょうど初期宮崎県の時代であった。

 江戸時代の”人馬継立”を引き継いで明治4年(1871)11月に設立されたのが陸運会社である。明治7年に県が地図製作用に陸軍省へ提出した取調書から、初期宮崎県では20か所に陸運会社があったことがわかっている(宮崎県庁文書「支庁掛合案」明治七年)。イメージ図で示したように、大分-宮崎間、宮崎-都城-鹿児島間、宮崎-飫肥間で陸上輸送がつながりつつあったことがみえてくる。
 前年の明治6年4月に大蔵省へ提出した「管内陸運発行届」には運送費が書かれている。人足1人1里(約4㎞)5銭、高千穂越え、高岡越え、山之口越えなどの険しい場所では1銭増。宿駕籠1挺人足2人で12銭5厘、馬1疋6銭2厘などとなっていた。この運送費は「外駅ニ致比較候得者賃銭高価ニも相見得候得共」(宮崎県庁文書「大蔵省諸願伺届(二)」明治六年)とあるように、他所よりは高価であった。それは、地元民が輸送業務に不慣れであり、賃銭を高くしなければ請負人がいないためだと理由を説明している。

 次に、江戸時代の”飛脚”を移行させたのが、明治4年(1871)に前島密(まえじまひそか)がイギリスを手本にしてつくりあげた郵便制度である。1月24日に郵便規則が布告され、東京-京都-大阪が結ばれた。同5年7月1日に全国的に郵便制度が開始され、翌年4月に均一料金制が実施された。そして郵便は政府の専管事業となった。すでに、美々津県・都城県時代には熊田・延岡・美々津・高鍋・佐土原・飫肥・高岡・三股・都城の9か所に郵便取扱所が置かれ、4つの郵便路線が設けられた。初期宮崎県が設置された後の明治6年3月には、宮崎にも郵便取扱所が置かれ、県内唯一の2等郵便役所となった。明治8年にはすべて郵便局と改称。地元の名望家や資産家が郵便取扱人となり、準官吏の身分が与えられ、後の特定郵便局制度の元となった。
 明治6年の料金は、書状2匁まで市内1銭、市外2銭、不便地3銭であった。東京-宮崎間の所要日数は往復約36日かかり、北海道をのぞいて最も遠かった。明治8年になると宮崎郵便局で郵便為替業務も始まっている。
 郵便以外の通信手段に電信があるが、初期宮崎県時代には県内に開通していない。電信網が広がるのは西南戦争以後である。

 初期宮崎県時代には、陸上輸送と通信制度それぞれが明治政府の方針の下で整備され、網がかぶさりつつあった。しかし、制度ができてすぐに機能したわけではない。この”網かけ”は、明治政府の影響力が広まるにつれて浸透し、使われていくのである。
(この項つづく)

<参考資料>
 『宮崎県史 史料編近・現代1』(宮崎県、1991年)
 『宮崎県史 史料編近・現代2』(宮崎県、1992年)
 『宮崎県史 通史編近・現代1』(宮崎県、2000年)西川誠氏執筆部分

2009-05-27 更新
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