宮崎みんなのポータルサイト miten !でグルメ・イベント等の生活情報をチェック!
チラシ特集2017 4月
ユーザー名:
パスワード:
トップ | 無料会員FAQ | サイトマップ | リンク集 |
すべて 食べる
遊ぶ 買う
キレイ 暮らす
健康 医療・福祉
でかけてmiten
買ってミテン
ミテンの本棚  >  宮崎、歴史こぼれ話

宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.122 延岡藩の修験4
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
延岡藩飛び地宮崎の修験
 延岡藩は城付地延岡と高千穂の他に宮崎と豊後国に飛び地を有した。宮崎は延岡城下から90km程を隔て、現在は県都宮崎市の中心となっている一帯である。

 宮崎県庁から南西の方角、直線で4km程の所に古城町がある。ここに中世から近世にかけて周辺寺院に影響を与えた伊満福寺があった。現在は無住。池上山伊満福寺蓮華院池之坊といい、真言宗智山派の寺院。寺伝によると推古天皇の勅願所と聖徳太子の命で百済国日羅上人が推古天皇21年(613)に開山したとする。日向七堂伽藍の一つ。
 伊満福寺は黒貫寺(西都市)や仁王護国寺(日南市)とも密接な関係にあり、真言宗寺院として宮崎地方に一大勢力をもった寺院であった。
 伊満福寺49世法印頼雄が延宝5年(1677)護東寺を開山した。伊満福寺の南500m程の位置、蓬莱山宝積庵護東寺といい真言宗。元禄12年(1699)頼雄法印が没すると弟子であった串間南照院が跡を継ぎ、代々串間一族が住職をつとめ明治まで8代続いた。その中に串間延寿院・円立院という仏像彫刻に長けた父子の山伏がおり、宮崎市や日南市に多くの石像を残している。

串間延寿院
 護東寺5世の住職。大越家、大仏師。宝暦8年(1758)に初入峰、宝暦10年(1760)、安永3年(1774)と3回の入峰修行を行っている。佐土原藩の修験野田泉光院は藩主一族の安全祈願で毎年大峰登拝しているが、藩などの公的援助もない普通の修験者で宮崎から奈良大峰山まで出かけ3回も入峰修行した延寿院は結構熱心な行者であったと思う。仏像彫刻に秀で大仏師を名乗った。現在残る石仏のなかで延寿院の手によるものが傑出する。
 宝暦14年(1761)鵜戸山仁王護国寺別当隆岳に招かれ、同年7月隆岳の出身地内ノ田に隆岳両親菩提のために地蔵菩薩を彫刻、明和元年(1761)12月に鵜戸山境内岩壁に不動明王、同年閏12月には飫肥の長持寺に地蔵菩薩を建立している。同2年7月には鵜戸山岩壁に閻魔大王を彫り、他に鵜戸山仁王護国寺支院の弥勒院に仁王を彫っている。明和4年(1767)延寿院は再び飫肥を訪問、平原屋平兵衛の依頼で地蔵菩薩を造立している(※12)。
 延寿院は飫肥に招かれる前、宝暦6年(1756)に最勝寺(宮崎市)に仁王を、同8年は円通寺に木造愛染明王を彫った実績があり、これらが隆岳に認められたのであろう。護東寺と仁王護国寺は40~50㎞も隔て藩も延岡藩と飫肥藩と異なるが、伊満福寺との関連で交流があったと思われる。

串間円立院
 護東寺6世、延寿院の息子。大越家、法印快賢という。系図では串間円龍院とあるが彼が彫刻した仏像には円立院と記す。安永2年(1773)に初入峰し、天明5年(1785)2度目、同7年3度目の入峰を行っている。
 円立院も父親同様仏像彫刻に長け、宮崎市や日南市などに現在362体、その内仁王像等大形彫像は11対、木像3体が確認されている。主なものを挙げると、

天明4年(1784)日南市報恩寺跡の仁王、
寛政元年(1789)宮崎市宝泉寺の仁王、
同年宮崎市伊満福寺の青面金剛、
同年国富町八幡神社の仁王、
同2年宮崎市伊満福寺地蔵、
同3年宮崎市太田観音堂の神像、
同8年(1796)宮崎市伊満福寺の六地蔵、
同12年(1800)宮崎市多宝寺の仁王、
同13年宮崎市霧島寺跡の仁王などである。(※13)

 円立院は延寿院と同様、飫肥に仁王や地蔵を残しているし、更には30km程離れた幕府領本庄に仁王、40km程離れた高鍋にも石像を残していることから、仏像彫刻の依頼があればどこでも出かける、藩の違いなど殆ど関係なかったのではないだろうか。それらの地の修験が例えば高鍋では円実院などの世話があったのかもしれない。

脚注
※12※13前田博仁『近世日向の仏師たち、宮崎の修験文化の一側面』鉱脈社
参考資料 前田博仁著『近世日向の修験道』鉱脈社
 
2020-01-28 更新
2025 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05
2024 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2023 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2022 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10
2021 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2020 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2019 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12
2018 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2017 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2016 | 01 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
(1) 2 3 4 5 6 7 8 9 10 » 
PopnupBlog 3.0 Denali-1225 created by Bluemoon inc.  
e87.com(株式会社千趣会イイハナ)
富士通パソコンFMVの直販サイト富士通 WEB MART