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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.84 宮崎五か村騒動
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 江戸時代、米は経済の中心をなし藩の規模は石高で、武士の扶持も米であったから、その出来不出来は藩財政を左右する重大なことであった。藩が予算を立てるとき予め決めておいたとおり納税(年貢)することが大前提であったことから、税率は過去の取れ高を平均し税率(定免)を決めた。一旦決めると10年ないし20年間は豊作凶作に関係なく定免(じょうめん)で徴収した。

 寛延3年(1750)延岡藩領宮崎で騒動が起きた。藩は財政難を打開するために定免制の導入など徴税強化策を打ち出したことが契機となり、富吉村・長嶺村・浮田村・大塚村・瓜生野村・大瀬町(以上宮崎市)の6村が12月3日の年貢皆済期限である年貢の日延べ、年貢の年賦返済、検見(けみ)願いなどを訴えた。浮田村が後に脱落したので、この騒動を「宮崎五か村騒動」という。

 郡奉行は弾圧という強硬な姿勢を示すが藩首脳は慎重であった。宮崎代官所は願書を受理し、正式な延べ願いを出させるという引き延ばし策をとった。年末年始の行事を一切放棄した五か村に代官所は直純寺(宮崎市)に調停を依頼、年賦返済を除き百姓側の要求を受け入れるとするが、百姓側は年賦返済を主張して拒否した。翌年1月百姓たちは薩摩藩である柳瀬(宮崎市)に逃散する決意で瓜生野に結集した。直純寺ほか7か寺は3日間に及ぶ交渉を行った結果、百姓側は調停を受け入れて帰村した。この騒動は百姓たちの全面勝利となったが、藩側には強く出ることができない事情があった。

 延享4年(1747)内藤氏は磐城平(いわきたいら・福島県)から延岡に所替えとなるが、その原因が百姓一揆であったと言われる。延岡に来てからも宮崎富吉村が巡検使に直訴し、西臼杵三ヶ所村では強訴(ごうそ)、飛び地国東(大分県)大岩屋村では逃散一揆(ちょうさんいっき)が起っていた。それで藩は「宮崎五か村騒動」が公にならないよう穏便に済ませたということであろう。

※延岡(内藤)藩は城付地の臼杵郡60か村と飛び地宮崎郡21か村、豊後国(大分県)3郡84か村を所領していた。
※検見とはその年の収穫を検査し、豊凶に応じて年貢額を決定するもの。村内水田の数ヶ所を坪刈(3.3㎡の稲を刈取って収穫量を調査する)し年貢を決める。
※調停した寺院や庄屋に褒美を与えている。直純寺銀弐枚、金剛寺・帝釈寺・長久寺・王楽寺・沙汰寺・多宝寺・伊満福寺は金二百疋。下北方村庄屋年寄に銭壱〆文など。

参考資料:『宮崎県史 通史編 近世上』宮崎県
2016-11-22 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎民俗学会副会長、清武町史執筆員、県伝統工芸審議会委員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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