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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.83 観音瀬開削と後藤五市・伊左ヱ門
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 江戸後期、大淀川の中下流域で商業が大いに発展し、経済的に豊かな商人町が興隆した。
飫肥藩の城ヶ崎と赤江、延岡藩の中村と上野町、薩摩藩の高岡、幕府領の本庄である。
 上流域に位置する薩摩藩都城も大淀川舟運に加わり、赤江港から上方との交易を開きたいと長年考えていたが、上轟(都城市高崎)の観音瀬は川幅が狭まく岩盤がむき出し、その上落差もあり舟が通れない急流であった。
 大淀川に舟運を開こうと思い立ったのは都城領主島津久倫(ひさとも)であった。問題は観音瀬、ここを開削することができれば都城と赤江港が直結し、交通運輸に有利であることは以前から考えられていたことであった。久倫は家臣を球磨川に派遣し人吉と八代の舟運を調べさせ、家臣は川下り船頭3人を伴って都城に帰国、船頭たちの意見を聞いた。観音瀬右岸の岩盤に幅1間ほどの溝を掘削し、球磨で使用する早瀬舟のような川舟であれば赤江港までの舟運は可能という結論だった。岩盤掘削には 肥後の石工、舟作りは人吉の舟大工を雇った。

 寛政2年(1790)3月、都城領主は観音瀬水路開削の許可をとった。瀬の右岸に幅1間(1.8m)の舟路開削工事が竣工したのは3年後の寛政6年12月だった。これにより都城と川口の赤江港まで川舟が通行できるようになり、都城や北諸はもとより周辺の物産も運べるようになった。
 明治22年(1889)には宮崎県がもう一つ開削し舟運はますます盛んになった。

高城の後藤家

 江戸末期、高城(都城市)に薩摩藩の上納米、都城盆地産の米を赤江港から大坂に回漕することで豪商となった後藤五市という人物がいた。後藤家は大地主で林業も営んでいた。なかでも赤江港から江戸深川の木場に運び込む櫓木(ろぎ)は、真っ直ぐなイチイ樫にカナヤ(鉄のクサビ)を打ち込んで裂き、木目が直線的に通りしかも強靭であったことから、後藤家の商標「カネ五」印がついた櫓木は房総の漁民が競って買い求めたという。
これによって得た大きな利益はその後の大規模な植林事業の基礎となった。
 明治になり藩有林が国有林になり民間にも林業の門戸が開かれた。明治末には造林面積が200町歩余、植林樹数は160万本達し、伊左ヱ門は日向の山林王と呼ばれるまでになった。この他椎茸栽培、養蚕、綿花栽培まで事業を拡大した。
 北諸の人々は「ゴツドン(後藤殿)」と親しみを込めていう。飲み座で「ナンコ」という互いが掌中に隠した木片の数、それは0+0から3+3までの単純な加算で、当てられた者は焼酎を飲まされるという遊びである。この「ナンコ」で「ゴツドン」という事がある。それは二人の木片を合わせた数が1また5ということ、つまり5は後藤家、1は一番の金持ちということである。
 高城は都城盆地の北端に位置し、周辺は現在も田園が広がり商業地ではない。江戸時代、都城は領主島津氏の館があった現在の都城市役所一帯が政治経済の中心であった。その中心地から10㎞ほど離れた農村になぜ豪商が生まれたのか。後藤五市・伊左ヱ門の商才もさることながら、何と言っても観音瀬開削によって赤江港と直結した大淀川舟運の効果と思われる。

参考資料:『高城町史』
2016-10-25 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎民俗学会副会長、清武町史執筆員、県伝統工芸審議会委員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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