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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.79 欠落は死罪となる
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 高鍋藩は延享2年(1745)□月11日(※1)、喜助を「重罪につき死罪」と浜子田で処刑した。翌12日は喜之助、藤助、杢之助を上江船塚で死罪に処している。
 これら4人は「欠落立帰」という罪、欠落(かけおち)とは居所から他所へ逃げることで、領内から逃げ出すことを厳しく罰した。
 江戸時代、経済の中心となる米生産を担うのは百姓であったことから、身分制度では支配者である武士の次ぎに位置付け、職人や商人より上とした。しかし生活は苦しく自ら生産した米を口にすることも儘ならなかったといい、経済が厳しくなると支配者は年貢を重くし百姓は困窮の度を増した。

 一般に、貧困や借財その他の理由で欠落する者が出た場合、その者が所属する地域の役人は所轄の役所に届け出なくてならなかった。所轄の役所は欠落人の親類や役人に一定の期限(30日)を定めて捜索を命じる。それでも見つからないときは更に30日を限って捜索させ、そのようにして6回、180日捜させる。180日経過しても見付けられないとき捜索人は処罰され、改めて永尋(ながたずね)を命じられた。(この欠落人捜索は高鍋藩ではない)

 元禄3年(1696)9月延岡藩山陰村・坪屋村(日向市東郷町)などの百姓1,400余人が高鍋藩領に逃散した。逃散とは居村から他藩へ集団で逃亡することで百姓一揆である。原因は郡代梶田十郎左衛門の悪政、逃散百姓たちは延岡・高鍋両藩による度々の帰村説得も聞き入れず、ついには百姓の代表が江戸に呼び出され評定所で審議された。結果は百姓14人が死罪となった。藩は逃散や欠落など百姓の反抗には厳しく対処した。

 再度死罪になった4人に触れる。4人は逃亡したが村に帰ってきたというもの、どのくらいの期間欠落して帰ったのか不明だが死罪であった。もしかすると帰村した場合、ある程度の処罰はあっても死罪に処せられることはなかったのではないか。喜助は「重罪につき死罪、尸(しかばね)ためし」とあり3人とは異なる。「尸ためし」という罪が付いている。屍つまり遺骸を大名などの刀の試し斬りにすることで、喜之助ら3人より重罪であった。


※1:「□月」は月不明。
※欠落:愛し合う男女が連れ立って密かに他の地へ逃亡する駆落ちではない。


参考資料『宮崎県史料第二巻 高鍋藩拾遺本藩実録』宮崎県立図書館
『万有百科大辞典 日本歴史』小学館『日本歴史地名大系 宮崎県の地名』
2016-06-21 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎民俗学会副会長、清武町史執筆員、県伝統工芸審議会委員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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