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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.182 地震・津波の呪文「きょうつか、きょうつか」
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
 宮崎市加江田の曹洞宗円南寺の傍に、地元の人たちが「きょうつか様」と呼ぶ標高30m位の小山がある。その頂上付近に寛文2年(1662)日向灘で発生した地震に関する石碑があると知人から聞き案内して貰った。傾斜がきつい山肌を這うようにしてようやく頂上に着くと、常緑広葉樹の大木の根元に石碑があり、巨樹がそれを包み込もうとしている状況であった。文字は風化し殆ど読めなかったが、「外」と読める文字が確認できた。
 寛文2年の外所地震に関する「清武海成在所人民家滅失覚」という史料に、下海江田と上海江田の集落が海になったとある。海江田とは加江田のこと。
 下海江田 竈数82、内13竈海中成
      人数363人、内男201人、内5人死 女162人、内10人死
 上海江田 竈数133、内26竈海中成
      人数581人、内男312人、女269人 
 下海江田は戸数(竈数)82戸の集落で、その内13戸が海没し、死者男5人、女10人。
 上海江田は戸数(竈数)133戸、その内26戸が海中に没したとある。以後、加江田の村民は地震があると、津波の襲来がある考え小山に登り、「きょうづか、きょうづか」と津波除けの呪文を唱えたと伝える。

 地震のときの唱えごとを宮崎県内を調べると、
「きょおつか、きょおつか」
 地震のときのまじないの詞。延岡市、明治の頃三北で言った。(1) 三北とは旧北浦町、旧北川町
旧北方町のこと、現在は延岡市に併合された。
「きょおづか、きょおづか」
 地震のときのまじない語。西臼杵郡。(2) 雷鳴のときの「くわばら、くわばら」の類
「きょうづか、きょうづか」
 地震のとき唱えた。日之影町(3)
「きょーつか、きょーつか」
 地震のとき呪いの言葉。「きょーすか」ともいう。大人は「どこかに京塚という所があって、そこは一ぺんも地震がないそうな」と説明していた。(4)
「きょうつか、きょおつか」
 地震のとき、地震が激しくならないように繰り返し唱える言葉。県北沿岸。(5)
「きょおつか、きょおつか」
 地震のときのまじない詞。(6)
「きょうづか、きょうづか」
 清武町では地震のとき「きょうづか、きょうづか」と唱える。(7)
 地震のとき「きょうつか、きょうつか」と言うと年寄りが言っていた。宮崎市内海。(8)
 地震が激しくならないように「きょうつか、きょうつか」と言った。宮崎市加江田。(9)

 外所(とんところ)地震とは、日向国で起きた最大と言われ、363年前の寛文2年(1662)に地震と津波が起こり、青島と並んで東にあったという外所村が海に沈んだと伝える。外所村以外にも下海江田、上海江田、東郡司分などの村々も陥没、そこへ海水が流入して入り江になったと伝える。
 殿所ト云字地ナトアリ、青島ト相並テ突出セシ所ナリト云ヒ伝フ(略)、近キ頃マテハトントコロト云村アリシカトモ大地震ニ津浪来リテ今ハ入江ニ成タリ(橘 三喜『一宮巡詣記』)

出典 (1)(2)『宮崎県方言辞典』、(3)『日之影町史 資料編4民俗』、(4)『延岡のことば』、(5)『新宮崎市方言辞典』、(6)『佐土原町史』、(7)『宮崎県史 資料編 民俗2』(8)(9)聞き取り
 江戸時代、集落の戸数は竈の数で表した。
※ 沖縄では、地震がおきたとき無事を願って、「チョーチカ、チョーチカ」という。
※ 外所大地震については「みやざき風土記」№4にあり
2025-04-29 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと) 
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、
平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。
現在、宮崎民俗学会会長
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、
高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員

著書
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』(鉱脈社)、
『比木神楽』(鉱脈社)、
『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、
他に『鵜戸まいりの道』
『飫肥街道』(鉱脈社)

共著
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史(民俗)』
『北浦町史(民俗)』
『日向市史(民俗)』
『清武町史(民俗)』
『みやざきの神楽ガイド』
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