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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.62 伊東祐兵36人の謀反を誅伐
前 田 博 仁 ( 宮崎県民俗学会副会長 )
 橘橋から国道220号を南下すると源藤で清武を経て都城へ続く国道269号と交わる。
その交差点から150m程清武側へ進むと左手に団地が存在するが、団地に造成される前そこは地元民に「寺ん堂」と呼ばれる丘陵地で明治初期まで最勝寺があった。

 ここは天正18年(1588)伊東家旧家臣36人が立て籠もり、祐兵自ら飫肥から出向き誅伐した所である。謀反を企てたのは漆野能登守と同調した42人。祐兵は中心となった7人、つまり漆野能登守を梅谷(宮崎市田野町)で、中村官祇坊を加納(宮崎市清武町)で、田爪民部丞を酒谷(日南市)で、漆野雅楽助を志布志(鹿児島県)で、中村丹波介を曽井(宮崎市)で、丹波介弟(不明)、田爪伊賀守を飫肥(日南市)で誅殺し、残りの者は許そうとした。
 豊臣秀吉から飫肥を与えられた祐兵は、日向各地から旧家臣の多くが帰参する中、飫肥藩としての組織充実に取り組んでいたため、首謀グループを除いた36人は許すとしたが、造反組の結束は固く最勝寺以前の長命寺に立て籠もって主張を通そうとした。
 謀反人たちの主張は祐兵の甥伊東義賢(よしかた)を領主に仰ぐことであった。伊東家15代領主義祐には嫡男観虎丸(かんこまる)、二男義益(よします)、三男祐兵がいたが、観虎丸が早世したため義益が17代領主になった。しかし義益24歳のとき岩崎稲荷(西都市)で急逝し、義益の子義賢が幼少のため義祐が再び国務を掌った。
 しかし、元亀3年(1572)木崎原で大敗した後、豊後へ逃げるにあたって義祐は幼い孫の義賢を17代領主に任じた。
 豊後に逃れた後のことは前回、前々回のとおり。飫肥を得て新たに伊東家を興すことになった祐兵だが、漆野能登守らは飫肥伊東家を継ぐのは義祐が領主を任じていた義賢で、祐兵は正統ではないという主張であった。
 日向各地に残っていた旧家臣を受け入れて、新しく主従関係を組織する祐兵にとってこれら不満分子は受け入れることは出来なかった。
 このような義賢が正統であるという家臣の考えは、文禄・慶長の朝鮮出兵のとき再び登場する。

 なお、「寺ん堂」には謀反人らが立て籠もった時長命寺があったが、祐兵の誅伐時田野勢が激しく鉄砲を打ち込んだとあり、長命寺は廃寺になりその跡に最勝寺が再建されたものと思われる。
2015-01-27 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員、県伝統工芸審議会委員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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