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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.59 村境に建立された田元神社
前 田 博 仁 ( 宮崎県民俗学会副会長 )
 田元神社は本郷南方に鎮座、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命、豊玉彦命を祭神とする。
 明治12年(1879)3月16日、田元神社の氏子総代大坪儀三郎と同神社受持祠掌甲斐蔀は、寛治4年(1090)11月15日、恒久神社が児湯郡の都萬(つま)神社(西都市)祭神木花咲耶姫命を勧請したとき、本郷南方の高畑がその神輿掛の所となったことから、高畑の隣り田元に都萬神社祭神を勧請したと伝える、と鹿児島県令に報告している。
 明治23年(1890)1月10日、田元神社佐々木等祠掌は、田元神社はもと本郷北方村鵜戸ノ尾に鎮座、神社の由来、勧請年月日等は分からないが、延宝年間(1673〜81)の棟札があって飫肥藩主伊東祐実の代に神殿を創立したこと、毎年例祭には神事料として米1石を藩から給されたこと、明治時代になり本郷南方・北方両村は(限りなく北方に近い)南方に新宮を設けてそこに移したこと、南方の田元に鎮座する木花咲耶姫命を祀る神社を合祀し、神社名を田元神社にしたことなどを、南方氏子総代松田武平と北方の氏子総代太田治五郎の連名で宮崎県に報告している。
 『日向地誌』で鵜戸ノ尾神社址をみると、「本郷北方村の西、鵜戸ノ尾にあり、明治四年(1871)遷座して田元神社に合祭す」とあり、明治23年佐々木等祠掌らの県報告内容を裏付ける。鵜戸ノ尾は本郷北方の西端、清武加納に接する辺りで、鵜戸ノ尾池がある。その辺りに田元神社の前宮、鵜戸ノ尾神社があったらしい。
 鵜戸とあるから日南の鵜戸神宮と何らかの関係があったとみえ、鵜戸神宮祭神の彦火々出見命と豊玉姫命の二柱を勧請し、鵜戸ノ尾神社祭神として祀っていたのであろう。田元神社との合祀の際両神は祭神として引き継がれたのである。
 ところで神社名にした田元はどこにあるのだろう。『日向地誌』で本郷北方村を見ると「田元、北方村の東、南方村との境にあり、山内川を挟んで半分は南方村、半分は北方村に属す、人家十三戸」、次に本郷南方村を見ると「田元、南方村の東北にあり半分は北方村に属す、人家九戸」とある。田元は本郷南方と同北方の両村にまたがった集落であったことが分かる。
 地図は昭和十年頃の赤江、現在の宮崎空港周辺で田元と高畑、津屋原の集落が見える。
 日本海軍は赤江に航空隊練習基地を造るため、田元、高畑、津屋原の三集落住人に昭和17年(1942)3月15日を期限に退去命令を出した。先祖伝来の田地を収用される怒りや不満があったが、当時はそれを口にできる世情ではなく人々は強制移住に従った。
 田元は現在の空港ビルがある辺り、高畑は斜め滑走路の北端、赤江から一ツ葉有料道路で宮崎に向かうと右下に遊水池、左下にラクビー場がある辺りである。
 遷座した新神社名を何にするか、これについては難航したのではないかと思う。例えば「南方神社」にしてはという南方氏子の提案には北方の氏子が、「北方神社」では南方側が異議を唱えたと思われる。諸々検討した結果、唯一本郷北方と本郷南方両村にまたがった田元集落の地名を神社名にし、加えて田元に勧請した祭神も合祀することで両村が合意したものと推測する。
2014-10-22 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員、県伝統工芸審議会委員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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