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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.51 黒田官兵衛と宮崎の戦い(2)
前 田 博 仁 ( 宮崎県民俗学会副会長 )
稲津掃部助(いなづかもんのすけ)の
宮崎城攻め

 慶長3年(1598)豊臣秀吉が没すると徳川家康の勢力が台頭、石田三成が徳川家康を滅ぼす企てありとの雑説が巷に広がった。
 日向国では、延岡の高橋元種、高鍋の秋月種長、佐土原の島津豊久、飫肥の伊東祐兵は秀吉恩顧の大名ということで、三成と家康が戦うなら三成側に立つという態度であった。しかし、慶長4年祐兵は伏見で黒田官兵衛父子、加藤清正に勧められて、井伊直政を通じて徳川側に属することを告げた。

 慶長5年(1600)秋、借屋原甚右衛門は黒田官兵衛のもとに参り、間もなく開戦となる関ヶ原戦に対する指図を受けている。官兵衛はこのとき富来城を落とし懸桶和泉城を攻めていたが、伊東家も早く敵城の一つを落とし後日の証拠とすべしと言った。この頃、稲津九郎兵衛は人質になっていた祐兵嫡子祐慶(12歳)を大坂から飫肥に連れ帰るが、島津側間諜の目を恐れ紫波洲崎の湊で上陸した。
 軍議では、稲津掃部助を清武城代にして宮崎城を攻めさせる。宮崎城は延岡の高橋元種の城。元種は関ヶ原戦では西軍であったから飫肥からは敵方ということになる。攻撃兵員3000人、その内宮崎城攻め1500人、穆佐・高岡などの島津勢備えに700〜800人、佐土原島津の押さえに400〜500人、残りが清武城守りとなった。黒田官兵衛の検使として飫肥に来ていた宮川伴左衛門は、掃部助の軍略と家中の勇敢なる働きを褒めている。

 宮崎城攻撃は慶長5年9月29日、関ヶ原戦が9月15日であったから14日後、関ヶ原戦が1日で終わったことを知らなかったのである。午後8時頃清武出陣、真夜中12時頃に攻撃を開始し朝6時頃に落とし、掃部助はその後7か月間も薩摩と佐土原両島津と戦っている。
 一方、黒田官兵衛は大友義統(よしむね)の豊後奪回を阻止し、小倉の毛利勝信を攻め、久留米と柳川の両城を攻め取り、加藤清正と合流して薩摩島津を攻め水俣に侵攻するなど勢力を広げた。

 官兵衛は関ヶ原戦では息子長政を家康側で戦わせ、本人は九州で勢力拡大に専念している。俗説では関ヶ原戦で東西両軍が何か月も戦い、ともに戦力が衰えた時点で官兵衛は天下取りを目論んでいたという。伊東祐兵はその策略に乗せられたのあろう。
2014-02-24 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員、県伝統工芸審議会委員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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