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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.50 黒田官兵衛と宮崎の戦い(1)
前 田 博 仁 ( 宮崎県民俗学会副会長 )
 島津征伐で日向へ
 天正15年(1587)黒田官兵衛は現在の宮崎県木城町で薩摩の島津義弘らと戦うが、この時後に飫肥藩(宮崎県日南市)藩主となる伊東祐兵が官兵衛の配下として戦っている。
 中世、日向国都於郡(西都市)の伊東氏は薩摩島津氏と80年にも及ぶ戦いをしていたが、元亀3年(1572)伊東義祐は木崎原戦(えびの市)で島津義弘軍に大敗する。
 その後配下武将の島津氏への寝返りもあり、天正5年(1577)伊東義祐・祐兵らは豊後国(大分県)の大友宗麟を頼って落ちた。翌年、大友宗麟は日向国を奪わんと新納院高城(木城町)へ兵を進めるが島津軍に大敗、その後島津氏は勢いを増し九州の殆どを掌中に収めた。

 他方、伊東祐兵は豊後を出て、天正9年(1581)には羽柴秀吉の家来になり、天正10年(1582)の明智光秀との山崎の戦で軍功をあげ、翌年河内(大阪府)の半田郷を拝領している。
 黒田官兵衛はこの頃織田信長に仕え、羽柴秀吉の配下として毛利攻めに加わり高松城攻めは水攻めを献策している。ところが天正10年(1582)6月「本能寺の変」が勃発、直ちに秀吉は高松を発し官兵衛はその殿(しんがり)を務め、更に山崎の戦いに従って功をたてた。

 島津氏の九州席捲を大友宗麟は豊臣秀吉に訴えた。天正15年(1587)3月1日秀吉は大坂を出発、兵員は25万といわれた。秀吉の義弟羽柴秀長は秀吉の下関到着に先立って、小早川隆景・吉川元長・黒田官兵衛・宮部継潤・蜂須賀家政らとともに、豊後を経て日向に向かって進撃、官兵衛は軍奉行を務め祐兵はその配下になった。
 秀長の軍勢は破竹の勢いで南下、島津家久は豊後を退き兄義弘とともに梓峠(宮崎・大分県境)を越えて新納院高城へ、3月20日都於郡で義久に会い22日佐土原に帰った。
 島津義久・義弘・家久は劣勢を逆転するため高城(木城町)を決戦の地に決めた。この地は天正6年(1578)大友宗麟軍を迎え撃ち、徹底的な勝利を得た地で島津にとって縁起が良く、地形も十分把握している所であった。
 秀長軍勢が島津勢を追って日向国に進むと、日向国内は祐兵が詳しいということで先陣を務めることになった。伊東家の旧家臣たちは祐兵が帰ってきたことを喜び我も我もと馳せ参じた。秀長勢は新納院高城に押し寄せ、高城から財部(高鍋町)の間に51か所もの塁を築いた。高城陣には佐土原や都於郡の伊東家旧家臣多数が夜陰に紛れて兵糧を持ってきた。
 島津義久は4月17日、義弘・家久とともに兵2万余人をもって根白坂の陣を襲い、その堅塁の奪回に死力を尽くしたが、秀長勢は中央で幾多の戦を戦った巧者ばかり、その上武器も勝っており島津勢は数百人を失って敗退、力の差を認識せざるを得なかった。

 島津征伐後、豊臣秀吉は黒田官兵衛に豊前国6郡を与え、官兵衛は中津(大分県)を居城とした。祐兵は曽井・清武・飫肥を与えられ、飫肥を居城とした。
 日向国の歴史を大きく変えた大戦は、大友宗麟と島津、羽柴秀長と島津の2回、どちらも新納院高城の小丸川がその舞台となった。
2014-01-29 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員、県伝統工芸審議会委員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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