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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.25 山賊に間違えられた平部きょう南(*1)
前 田 博 仁 ( 宮崎県民俗学会副会長 )
 平部きょう南(*1)は前年藩主の参勤交代に随従して上洛していたが、天保5年(1834)4月20日江戸を発つことになった。藩主と共に帰邑せず別行動、中山道を通って帰ることにした。

 5月5日大津着、10日大坂出帆、兵庫に至る。17日豊後下ノ江(大分県臼杵市)に入港。21日は安井、山ノ城らと臼杵の城下に遊ぶ。
 22日、連日風波が悪く近日中に船出することが出来る状況ではないと船子等が話しするのを聞いて、そうであれば陸行しようと斎藤十蔵と二人は急に旅装いして上陸した。この日は臼杵の城下より四里ばかり石ノ上という所に一宿した。
 23日、石ノ上を立って八、九里行き鷲谷という処に着いて日が暮れた。貧しそうな農家に一宿を願った。今宵は月待ちの心持ちでソバ切りを作ったと、年老いた女主人はミミズのように切ったのを大椀に盛って勧めれば、ソバ切りを好まない十蔵は仕方なく一、二杯食べた。余(きょう南(*1))は元来好物なので余り美味しくはなかったが五、六杯食べた。主翁は年八十余であるが、よく古の軍記を暗記していて関ヶ原大坂等の戦を物語り、くどくどと続けたので寝たのは三更(真夜中十二時頃)であった。

 24日、鷲谷を立って三国峠を越える。総じて豊後路は旅館より小さい握り飯二つを与えるだけで、途中食を求める所がないので大変腹が空いた。小野市に行けばソバ切りがあるというので僅かに元気がでた。そこより梓峠を越え初めて日向の山川を望み、旅情たちまち爽やかになった。峠より右の麓の方に白壁の数戸人家が見えた。以前から聞いている八戸村(延岡市北川町)であろうと思い、坂の中央より右に折れて険しい坂を下り麓に着けば、八戸ではなく八戸より1里ばかり川上の村(下赤か)であった。そこはもとより旅人の来る所ではなく、殊にきょう南(*1)たち二人は長髪乱鬢して旅装も異なっていれば、村人は大いに怪しみ群がって何やらひそひそ話していた。村内に豪家と見えて潤える屋舎があったので、一飯を願おうとその家に行った。主人は余等を山賊の徒と思い、長刀を引っ提げて出迎え、殊更に威嚇する様子であった。婦女子等は皆怖がって戸の隙間から見ていた。余等もその意を悟りて、怪しい者ではなく江戸より飫肥(宮崎県日南市)に帰る者で、下ノ江より上陸して歩いてきたが道に迷ってここに来たことを説明したら、警戒していた様子は次第に変わり、主人は気の毒そうな顔になり傍らに刀を置き、酒飯など出して持て成した。
 それより主人に謝礼を述べ、村を出立して八戸川を下り、長井村(延岡市北川町)里正の家に泊った。


・梓峠。宮崎・大分県境に位置する。江戸時代、豊後から日向へ向かうとき通る道筋の一つ。難所であった。有馬延岡藩(宮崎県)と中川岡藩(大分県)の境界争いがあった。延岡は梓山の稜線、岡藩は頂上より日向側へ1500m程下った所の杉の生えている所を主張したが、元禄13年(1700)幕府評定所は延岡の主張をほぼ全面的に認めた。

・平部きょう南(*1)(1815〜1890)
 飫肥藩家老。通称良介、俊良、きょう南(*1)は号。飫肥清武郷(宮崎市清武町)の藩士和田重寛の第一子として出生。十九歳の時、飫肥平部家の中継養子となる。若い頃安井息軒に学び、天保4年(1833)江戸の古賀どう庵(*2)に師事、翌年帰藩して藩校振徳堂の句読師、天保9年(1838)教授となる。家老として幕末の動乱期を大過なく乗り切った。『日向地誌』『日向纂記』『六鄰荘日誌』などの著書がある。76歳で卒す。

*1「きょう」は山偏「山」に「喬」と書く。
*2「どう」は人偏「人」に「同」と書く。
2011-12-13 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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