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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.24 “助さん”のモデル佐々介三郎が宮崎に来た(2)
前 田 博 仁 ( 宮崎県民俗学会副会長 )
 日向国で訪問した所は飫肥の願成就寺、鵜戸山仁王護国寺、都於郡の黒貫寺、三寺院とも真言宗で智積院の末寺であった。『大日本史』編纂の史料収集が目的であったが、どのような史料を求めていたのか、「日向国中ニテハ文書一紙モ見不申候」と記している。
 この後、介三郎一行は高城(木城町)、都農(都農町)、美々津(日向市)、門川(門川町)、延岡、曽木(北方町)、舟尾(日之影町)、河内(高千穂町)を通って肥後へ行っている。

佐土原藩の対応
 佐々介三郎ら一行が黒貫寺へ参るということで、佐土原藩は19日前から対応している。  
貞享2年(1685)7月10日、水戸黄門の家来佐々介三郎が旧跡や寺社文書の書写に黒貫寺に来るということで、接待などについて鹿児島藩の島津図書に問い合わすために広川治左衛門を派遣した。
同17日、佐々介三郎の廻国につき馳走などのようすを聞くために大町権三郎を派遣した。
同25日、高岡へも小牟田源右衛門を派遣して状況を聞き取る。
同26日、宮崎郡代から飛札が来る。佐々介三郎と丸山雲平が飫肥領へ来たこと、人馬入用の件などである。
同27日、郡奉行から宮崎郡代へ飛札を遣わした。内容は佐々介三郎が飫肥をいつ発つのか、また、謝礼などである。明28日に清武へ一宿のはずと宮崎郡代から飛札が来た。
同29日、佐々介三郎が領内を通行するので、道案内として肝煎の岩崎瀬兵衛ならびに足軽5人と荷役の馬を新名爪へ行かせた。申刻(午後4時頃)佐々介三郎殿ら一向は佐土原城下を通り萩原武兵衛が出向いた。申下刻(午後4時40分頃)黒貫寺へ到着、そこで一宿。
同30日、風雨につきこの日は黒貫寺に逗留、それで家老中から泡盛を徳利で遣わしたが進物不要と返された。
八月朔日、佐々介三郎殿と丸山雲平殿が都於郡を発つので、高鍋御家老中へ書状を遣わした。飛脚は杉尾伊左衛門。佐々介三郎殿主従六人と丸山雲平殿主従三人が午下刻(午後12時40分頃)都於郡町を出立した。高鍋へ着かれた旨の書状を杉尾伊左衛門が持って帰った。
乗馬用の馬一疋一里に付き四分、荷駄は一疋につき四分、加羅尻五疋は一疋につき三分ずつ、肩荷は一人につき二分ずつなど、駄賃や日傭銀は先年の上使が来たときの如く申請した。加羅尻(軽尻・空尻)は荷無しの馬に旅人の乗ること。五貫目までの荷物をのせることは許された。(『宮崎県史料第六巻佐土原藩島津家日記(二)』)

 佐々介三郎日向国訪問については後日談がある。
佐々俊介(介三郎の子孫)の日向国訪問
 佐々介三郎の子孫、俊介という人物が日向国を訪問している。
 介三郎が訪問してから177年後、『大日本史』編纂の途中で日向国の資料がないということが分かり、再調査に来たものであろう。11日間の滞在中平部きょう南(*1)が案内、ちなみに『大日本史』は明治39年(1906)に完成している。
 文久2年(1862)3月5日、壱岐宗淳孫俊介女阿レンを携て清武に赴く、この日雨ふりて途中泥濘なれば夜に入て中野に着し平部きょう南(*1)の実家和田家に宿す。
6日、玄松院先人の墳墓を拝して中山寺に至る。
8日、都於郡は先公の旧墟なれば彼辺の地理を考究して国史編修の助けにせんと思う事多年なるが、この度は切にその意を陳て十余日の暇を乞いければ、今日より宗淳謙次郎僕才吉を伴うて中野を打立ぬ。上恒久村の里正(しょうや)川越六左衛門、余が思立を聞て従い行んと云故に同伴せり、順路なれば先ず生目の祠に詣うで其より的野を逾え穆佐高岡を一見し、本庄に出て剣ノ塚稲荷の大宮司宮永主殿が家に宿す。
9日、黄昏に法華嶽に着す。逆旅(やどや)を平田平千代と云う。
10日、法華嶽を立て八代より六野原に出れば(略)昼過る頃、都於郡の町紙屋平次郎が家に投ず。この後、都於郡城址の本丸、奥の城、二の丸、三の丸を見て、光照寺や大安寺など巡っている。11日は黒貫寺、潮権現(潮神社)や妻万宮(都万神社)など、翌12日は西都原古墳の鬼ノ窟や円塚(円墳)をみて、高城(木城町)そして高鍋へ、13日は弾琴松を見物して佐土原へ、14日は蓮ヶ池から池内の古城(宮崎城址)そして直純寺、岩戸寺、景清の墓を巡って上恒久村に泊まる。15日は曽井の古城(曾井城址)を見物して中野に帰着、翌16日には、俊介と阿レンは淡島(青島)を参詣している。(『六鄰荘日誌』)

『西国御用状留』京都大学図書館蔵
『筑紫巡遊日録』国立国会図書館蔵
『宮崎県史料第六巻佐土原藩島津家日記(二)』宮崎県立図書館
『六鄰荘日誌』平部きょう南(*1)

*1「きょう」は山偏「山」に「喬」と書く。
2011-11-29 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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