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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.152 薩摩かくれ念仏を支えた日向国寺院2
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
福嶋の正国寺
 正国寺は福嶋西方(串間市)にあり本願寺直末、慶長12年(1607)宗徳が開山した。福嶋(串間市)は高鍋藩の飛地で薩摩藩志布志と境を接しており、内之浦、串良、志布志、岩川、末吉、松山、月野、市成など大隅(鹿児島県)の門徒が密かに参拝した。この福嶋正国寺参拝を人々は「イッコシュガエ(一向宗通い)」と大隅の人々は言った。しかし、薩摩と福嶋の間には夏井と八郎ヶ野に境目番所が、石原、毘砂ヶ野、後谷、馬庭、大川内、田床、川原田など藩境集落に辺路番所があり通行が困難であったため、染物屋と称しあるいは福島村の神社で行われる「火の舞(ひのめ)」見物と称して番所を通行した。そのため正国寺付近は紺屋が繁昌したという。
 正国寺は有明湾に面し、薩摩境から2里(8km)位の位置にあったため、海路志布志から福嶋へ向かうこともあり、福嶋村字高松に渡ったが同所には案内者がいたという。また、山越えの場合は川原田や田床等の辺路番所を避け、笠祇神社(串間市)への山路を通り福嶋の笠祇村へ下りた。
 志布志など大隅の門徒は正国寺を取次ぎとして本山への納金や本尊申請を行った。これらの経路その他種々の方法で脱出した門徒はさらに上方へ赴き、本山に参詣し本尊聖経類を受下したのである。(『鹿児島縣史』)

火の舞
 火の舞は串間市北方の北神社で現在も行われる。北神社の祭神は木花咲耶姫、天平4年(732)の創建と伝え江戸時代は神領四石五斗を給された。火の舞は木花咲耶姫が夫瓊々杵命から貞操を疑われ、無戸室に火を放って彦火火出見命など三神を産んだ神話に基づき、この神事は毎年旧暦12月20日の夜に行われる。境内に径1間程の円錐形に積み上げ火を着ける。燃え尽きて熾火になるとそれを2間四方に広げ、神殿から神官が素足で駆け寄り、その熾火の上を笛太鼓に合わせて縦横、十文字に素早く渡り、最後に熾火を両手ですくい上げ頭上で振り落とす。この火の舞は木花咲耶姫の出産を表すといい、昔は飫肥や志布志から多くの参拝があったという。
 江戸時代高松には湊があり物資や人の交流が盛んで、それを監視する高鍋藩の津口番所があった。津口番所役人の子孫が現在も同地に居られ、津口番所の子孫は代々正国寺門徒つまり一向宗信者で、そのため薩摩から正国寺へ参拝にくる一向宗信者には理解があったのであろうと『大隅』に記されている。

正国寺隠居僧蘭
 正国寺僧蘭は積極的に薩摩大隅に潜入して講結成に尽力した。それらの講からの懇志上納や尊像受領の取次を行った。
 嘉永3年(1850)西本願寺は使僧を潜入させている。肥後の向岸寺性真、同光明寺の善定と西照寺の心海、源光寺の蘭恵と紫明それに日向福島の正国寺隠居僧蘭である。僧蘭は嘉永3年の夏から薩摩に入国、同年冬に無事出国している。
 正国寺隠居僧蘭は内場仏飯講、内場焼香講、内場御烟草講、志布志仏飯講、本庄仏飯講、歓喜講、燈明講、北知恩講、南知恩講など諸講の再結成に努力したものとみられる。そして内之浦南知恩講に対し長御印を「新講組立御褒美」として「出格の思召を以」って御下の嘆願書を本願寺へ提出している。

薩摩から逃亡した一向宗門徒
 信仰の自由を求めて日向国福嶋大束(串間市)へ逃れ住むという伝承が残っている。
 厳しい禁令の中から門徒は領外へ連絡するようになった。噌唹・肝付方面では、日向南那珂郡福島村の本願寺派正国寺に、内之浦、串良、志布志、岩川、末吉、松山、月野、市成等の門徒が参詣し仏法を聞いたといい、また一向宗の迫害が烈しいので福島正国寺参拝に行ったきり向うに居ついた人もいた。(『大隅町誌』)
 福島は藩外で仏教(一向宗)は自由であったので、当地からもそこのお寺に参った人が多かった。これについて福島へ行った人の中で、彼地に居着いた人もあったという。福島に行った人に末吉の六町の人が幾人かあったといわれている。また、一向宗の迫害が烈しいので福島の方へ行ったきり向うに居ついてしまった人もいた。古老の話によると、諏訪方六町の某は福島の人となり、後迫中留門の中之迫善助も飫肥に難を逃れて、明治30年頃になって郷里へ帰ってきたという。(『末吉郷土史』)
 正国寺前住職は大束辺りに次のような特徴のある門徒がいることに気付かれ、これらは薩摩から移住してきたのではないかと話された。
 ○江戸時代の墓を持たない。
 ○先祖のことを話さない。
 ○大きく立派な仏壇をもつ。
 ○信仰心に篤く報恩講を確実につとめる。
2022-07-27 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと) 
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、
平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。
現在、宮崎民俗学会会長
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
高鍋神楽記録作成調査委員(参与)、日南市文化財審議会委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』(鉱脈社)、
『比木神楽』(鉱脈社)、
他に『鵜戸まいりの道』
『飫肥街道』(鉱脈社)

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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