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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.165 薩摩や延岡、佐土原の史料では宮崎城攻めをどう記しているか
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
 稲津掃部助の戦いについて飫肥側の史料で述べてきたが、掃部助が攻めた薩摩や延岡、佐土原の史料で見てみる。
 薩摩側の史料では、
 関ヶ原で敵中突破して逃げ帰った義弘の船・従船は無事細島湊(日向市)に入港、9月29日上陸、高岡の郷士籾木平右衛門が従者50余人を率いて出迎えた。大坂で船がなくて困っていた秋月氏の正妻らを乗せて帰り細島で別れた。この夜義弘は高鍋に泊まった。
 義弘は伊東祐慶の家臣稲津掃部助が黒田如水の指図で兵を揚げ、日州穆佐院を攻めようしていることを知り対応を指示する。稲津は宮崎城を落とし穆佐の的野を攻めてきた。義弘は佐土原に寄り関ヶ原での豊久の死を告げ、豊久の弟源七郎に城を固めることを指示して八代に入り、穆佐・倉岡・綾・八代の守将に、守りを固め侵攻されないよう命じ、綾・野尻・高原を経て富隈に着く。富隈では兄義久に会い再会を祝う。
 10月3日、帖佐に帰る。
 10月4日、稲津兵が穆佐城下に攻め来るがこれを打ち破り、これ以降二度と穆佐を攻めなかった。
 薩摩の史料『西藩野史』では概ね以上のような記載で、稲津挙兵は薩摩領穆佐侵攻が目的であったような記述をしている。
 延岡の史料『延陵世鑑』の記載は飫肥伊東側の史料内容とほぼ同じ。ただ、飫肥側の史料では権藤ら宮崎城兵は延岡から援軍もなく孤立無援であったと記しているが、権藤種盛の援軍依頼が届くと延岡では諸々協議し、図師伊予介を使者として送ることにし、このとき家老花田備後守の采配で士卒300余人を送ったが、一行が穂北(西都市、延岡領)に着いた夜、宮崎城が落城し城内の者残らず戦死の報を受け、援軍は延岡に引き返したとある。また、権藤種盛父子は寄せ来る敵を鑓・長刀で多数討ち取るが、その内に傷を負い最期は切腹したと記されている。また、延岡領内宮崎の庄屋の中で、権藤と共に籠城した太田村と吉村の庄屋以外の18村の庄屋は籠城しなかった。これらは稲津側に加担したという理由で後日全て首を刎ねられている。延岡の記録ならではの記載である。
 佐土原側から記述した『稲津軍記』は、稲津が挙兵した理由を稲津が所有する名馬を藩主に譲るよう命じたが拒否したこと、佐土原攻めが主目的でその途中の宮崎城はその血祭りとして落とし、その日の内に佐土原へ攻め入ったこと、佐土原攻めに大敗して逃げ帰ったことで稲津が切腹を命じられたことと、また、権藤種盛の名前を直純と誤り、権藤の霊を祀る寺院名をその名直純から直純寺としたなど誤記もあり他の記録と大きく異なっている。また、同じく佐土原側から記述した「日向変動記事」には、権藤種盛親子ではなく兄弟とされている。
 史実は一つであるが、立場が異なると見方や記述が違ってくるものである。
2023-11-28 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと) 
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、
平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。
現在、宮崎民俗学会会長
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、
高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員

著書
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』(鉱脈社)、
『比木神楽』(鉱脈社)、
『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、
他に『鵜戸まいりの道』
『飫肥街道』(鉱脈社)

共著
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史(民俗)』
『北浦町史(民俗)』
『日向市史(民俗)』
『清武町史(民俗)』
『みやざきの神楽ガイド』
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