| ミテンの本棚 > 宮崎、歴史こぼれ話 | ||||||
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座頭神此地ニ座頭神ト云アリ、人家遠ク隔リ寂莫タル処ニシテ宇納間家代ノ堺、 (略)座頭神ノ祠ハ茅茸ニシテ内ニ盲僧琵琶ヲ弾スルノ像ヲ安ス、上ニ白板ヲ匾シ墨ニテ吉野宮大明神ト題ス、(略)明日ハソノ祭祀ナリトテ今日ハ遠方ノ村々ヨリ来リ、林間ニ売物ノ小屋ナト数々構ヘ居タリ、村々産物ヲ持出シ交易スルト云、(略)又祠ノ側ニ小ナル石塔アリ、図ノ如シ、書体今寫ス処ノ如ク、(略)按スルニ見行ハ検校ナルヘシ、等ハ塔ナルヘシ(略)、村人ノ追テ建タルモノニテ数人ノ名ヲ刻シタリ、相伝フ、此神本ト座頭ニテ多ク黄金ヲ齎シ上洛シ、位ヲ買ント欲ス、此地ニ休ヒシニ悪漢数輩、之ヲ殺シテ其金ヲ奪フ、座頭死ニ臨テ曰、此金ハ予ガ精神ノ凝ルトコロ之、金ハ益々陪スヘシ、吾ガ恨ニテ必ス子孫ニ祟ヲナサン、其金ヲ奪ヒ分チ取ルモノノ後皆富ヲ致ス、今ノ延岡ノ市中富豪藤屋何某、其最魁タルモニテ(略)今ニ於テ其子孫嫡子育セス、或ハ育スルモ盲トナルト云、毎歳ノ祭祀ニ藤屋ト号スルモノ二軒ヨリ各銀十六銭ヲ奉納スト云、色々ノ物語多シト雖モ伝会ニ属ス、藤屋モ今ハ数軒トナル この地(家代の山奥)に座頭神が祀ってある。集落から遠く離れ、寂しい所で宇納間と家代の境、(略)座頭神の祠は茅茸にして内に盲僧琵琶を弾ずるの像を安置する。白板を平たくし墨にて吉野宮大明神と書いてある。明日はその祭祀といって今日は遠方の村々より来て、林間に売り物の小屋など多数構えて居る。村々産物を持ち出し交易するという。(略)また祠のそばに小さな石塔がある。図の如し。楷書と草書を交えた書体で書いてある。思うに「見行」は「検校」、「等」は「塔」であろう。村人が追って建てたもので数人の名を彫っている。相伝える。この神もとは盲人、多額の黄金を持って上洛し、(座頭の)位を買おうと思って、ここで休んでいると悪漢数人が盲人を殺し黄金を奪った。この金は自分の精神の凝ったもの、恨みで必ず子孫に祟ると死ぬ間際に言った。その金を奪った者たちは後に皆金持ちとなる。今の延岡市中で富豪となった藤屋何某は、悪党の首領で子孫後継ぎが育たない、あるいは子どもが育っても盲目になるという。毎年の座頭祭りに藤屋という2軒より各銀16銭を奉納するという。人々はいろいろ面白く話すが噂に過ぎず、藤屋は今は数軒となる。 諸塚村の吉野宮神社は盲人の秘話を伝える。「座頭神さん 琵琶を持った盲僧が祭神である吉野宮神社は、東臼杵北郷村(美郷町)境に近い諸塚村南川にある。南北朝の頃、大和国吉野の盲僧がひとりの従者を連れて延岡に来た時、にわか雨にあい濡れた衣や旅用の大金を河原で干していた。それを見た商人のひとりが欲心を起こし、人里離れたこの山中で追いつき座頭(盲人)と後から来た供の従者を殺して金を奪ったところ、その時座頭が投げた琵琶が木の枝にかかり七日七夜哀音を奏でたという。その後、商人の子孫には代々盲目などの不具者が多く生まれるので、盲僧の怨霊の祟りと畏れて祀り、供養したのが吉野宮神社(村人は「座頭神(ざつがみ)さん」と呼ぶ)である。盲僧は吉野(奈良県)から肥後(熊本県)の勤皇家菊池氏に派遣された密使であったことから、神社名を吉野宮というと伝えている。」(『日向の伝説』) 平成31年(2019)3月28日、吉野宮神社の座頭神祭に参った。境内は多くの参詣者であふれ、出店も多数あり賑わった。神事の後、諸塚村南川神楽などの奉納があった。境内に「明音見行盲等(妙音検校盲塔) 享保十九甲寅年一月廿八日 弐百五十年相当」と刻字された石塔がある。享保19年(1737)から250年前は文明16年(1484)に当たり室町時代、この年が盲目の琵琶法師の命日と伝え、現在は新暦3月28日に霊を祀る。※座頭 琵琶法師の別称。南北朝時代成立の平曲を語る琵琶法師の座である当道座に検校・別当・勾当・座頭の4階級があった。民間では盲僧と座頭を区別していない。(『日本民俗大辞典』) 参考資料:賀来飛霞『高千穂採薬記』 瀬戸山計佐儀編集『日向の伝説』『みやざきの神話と伝承101』宮崎県 |
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| 2025-07-22 更新 | ||||||
| 著者プロフィール | ||||||
| 前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、 平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。 現在、宮崎民俗学会会長 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、 高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員 著書『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』(鉱脈社)、 『比木神楽』(鉱脈社)、 『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、 他に『鵜戸まいりの道』 『飫肥街道』(鉱脈社) 共著 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史(民俗)』 『北浦町史(民俗)』 『日向市史(民俗)』 『清武町史(民俗)』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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座頭神
この地(家代の山奥)に座頭神が祀ってある。集落から遠く離れ、寂しい所で宇納間と家代の境、(略)座頭神の祠は茅茸にして内に盲僧琵琶を弾ずるの像を安置する。白板を平たくし墨にて吉野宮大明神と書いてある。明日はその祭祀といって今日は遠方の村々より来て、林間に売り物の小屋など多数構えて居る。村々産物を持ち出し交易するという。(略)また祠のそばに小さな石塔がある。図の如し。楷書と草書を交えた書体で書いてある。思うに「見行」は「検校」、「等」は「塔」であろう。村人が追って建てたもので数人の名を彫っている。相伝える。この神もとは盲人、多額の黄金を持って上洛し、(座頭の)位を買おうと思って、ここで休んでいると悪漢数人が盲人を殺し黄金を奪った。この金は自分の精神の凝ったもの、恨みで必ず子孫に祟ると死ぬ間際に言った。その金を奪った者たちは後に皆金持ちとなる。今の延岡市中で富豪となった藤屋何某は、悪党の首領で子孫後継ぎが育たない、あるいは子どもが育っても盲目になるという。毎年の座頭祭りに藤屋という2軒より各銀16銭を奉納するという。人々はいろいろ面白く話すが噂に過ぎず、藤屋は今は数軒となる。
諸塚村の吉野宮神社は盲人の秘話を伝える。
平成31年(2019)3月28日、吉野宮神社の座頭神祭に参った。境内は多くの参詣者であふれ、出店も多数あり賑わった。神事の後、諸塚村南川神楽などの奉納があった。境内に「明音見行盲等(妙音検校盲塔) 享保十九甲寅年一月廿八日 弐百五十年相当」と刻字された石塔がある。享保19年(1737)から250年前は文明16年(1484)に当たり室町時代、この年が盲目の琵琶法師の命日と伝え、現在は新暦3月28日に霊を祀る。
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