| ミテンの本棚 > 宮崎、歴史こぼれ話 | ||||||
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アユ簗を渡る4月23日鳥屋平(日之影町)を発し(略)数々の小村を経て大川近くに出れば山少し離れる。高岸の九折れの道を下れば、「深淵アリ、常ハ筏渡シト見ヘタレドモ、当時ハ渡頭ノ下ニ去年ノ簗ノ残リテ、土人皆此上ヲ通行ス、川幅百間ニモ余ルベキ荒川ノ瀬ニ竹木ヲ藤蔓ヲ以テ結付ナトシタルガ過半朽テ切タル処モアリ、水際ヨリ七八尺モ上ヲ通ル、危キコト譬ンカタナク無我無心ニアラザレバ渡ルヘカラス、簗ノ図 如此モノヲ製シ横ニ川ヲ絶チ此下ニ竹ノ粗簾」を張り、袋を付け置き香魚を捕るという。雨は頻りに降っているが傘をさすことはできない。左手は命大事と横竹を握り、漸く渡り河原に下りる初めて股栗(恐ろしさに股がわなわなと震えること)す。 通常は筏で渡るが、このときは昨年アユを捕った簗が残っていたのでそこを渡った。村人は皆簗の上を渡る。川幅は18m余り、荒川の瀬に竹木を藤かずらで結び付けているが、殆どは朽ち切れている。(略)水面から2.5m程の高さの上を通る。危ないことどうしようもなく、無我無心にならないと渡ること出来ず。簗の図を示す。このようなものを作って河を断ち下ニ竹の簾を置く。あゆ簗を内藤充真院も描いている。 文久2年(1862)閏8月、江戸幕府は参勤交代制を止め、大名の妻子を帰国させた。 内藤延岡藩6代藩主内藤政順(まさより)の室内藤充真院も帰国することになるが、不満たらたら。いかなる因縁か、江戸からの長い旅をして日向の延岡に来たと思うと、江戸の外に出たことのない充真院はただただため息が出るばかり。延岡に住むようになっても、へんぴなる国だから慰める趣向もなくと地元に馴染もうとする気配もなく日々を過ごす。家来たちにはアユ簗見物に誘い、獲れたてのアユの塩焼きを川原で食べさせ、出北の庄屋宅で稲作作業を披露し、ばんば踊りを見せ、八幡宮祭礼のだんじり、土々呂の地引き網見物など頻繁に誘っている。アユ簗は城から1里ばかりの松山という所、現在市街地近くに延岡あゆ簗があるがそこだろうか。 |
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| 2025-12-23 更新 | ||||||
| 著者プロフィール | ||||||
| 前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、 平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。 現在、宮崎民俗学会会長 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、 高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員 著書『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』(鉱脈社)、 『比木神楽』(鉱脈社)、 『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、 他に『鵜戸まいりの道』 『飫肥街道』(鉱脈社) 共著 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史(民俗)』 『北浦町史(民俗)』 『日向市史(民俗)』 『清武町史(民俗)』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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アユ簗を渡る
通常は筏で渡るが、このときは昨年アユを捕った簗が残っていたのでそこを渡った。村人は皆簗の上を渡る。川幅は18m余り、荒川の瀬に竹木を藤かずらで結び付けているが、殆どは朽ち切れている。(略)水面から2.5m程の高さの上を通る。危ないことどうしようもなく、無我無心にならないと渡ること出来ず。簗の図を示す。このようなものを作って河を断ち下ニ竹の簾を置く。
内藤延岡藩6代藩主内藤政順(まさより)の室内藤充真院も帰国することになるが、不満たらたら。いかなる因縁か、江戸からの長い旅をして日向の延岡に来たと思うと、江戸の外に出たことのない充真院はただただため息が出るばかり。延岡に住むようになっても、へんぴなる国だから慰める趣向もなくと地元に馴染もうとする気配もなく日々を過ごす。
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