ミテンの本棚 > 宮崎、歴史こぼれ話 | ||||||
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![]() 天保11年(1840)日向・大隅などを旅し、弘化4年(1847)には島原藩主の侍医になる。25歳で江戸に出て奥羽や北陸、伊豆などの薬草調査を行なった。 弘化2年(1845)延岡藩(宮崎県)の依頼で藩内(宮崎県北部)の薬草調査に来ている。3月10日から5月11日薬草の調査を行い、『高千穂採薬記』5巻を著した。 ![]() この間の調査記録を著しているが、藩内の植物以外に住民の食事、着物、生活、祭りなど当時の風俗を記録しており興味深い。 4月21日、曽木(北方町)を立ち、小原村(日之影町)に行く。 「小原に至り民舎に宿す、小原は分城の内なり、茅屋上にカツオ木を置き、馬数匹を畜い、水は掛け樋にて担いの高さに並べ、水の落ち口に槽を置き水を溜め用に供す、甚だ清潔なり、屋中に玉蜀黍(ナンバンキビ、トウモロコシのこと)を夥しく吊り置きて粮とす、この夜試みに家人の食を乞い食せしに、米をば一粒も用いず、麦、玉蜀黍及び芋、薊を塩にて炊き、骨董飯(五目飯)となしたるものなり、稗飯などは土人(土地の人)の常食なり、薊は大薊の嫩葉(わかば)を用ゆ」(『高千穂採薬記』) ![]() 現在も日之影町ではアザミを食べる食文化がある。土手や畦などでよく見かけるノアザミではなくヤマアザミ、和名をツクシアザミといい県北部ではよく見かける。ノアザミに比べてトゲや葉全体が柔らかい。 ![]() 五ヶ瀬町でもアザミを食べる風習がある。ここではツクシアザミでなくノアザミ。採ってきた葉は火にかざしてトゲを焼き、次にアク抜きをする。昔は木灰を布に包んで熱湯を注ぎ、その灰汁(あく)でアク抜きしていたが、現在は重曹を入れた熱湯でひと茹でし、1晩水に晒す。後は油炒めやアザミ飯にする。 |
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2025-05-27 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、 平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。 現在、宮崎民俗学会会長 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、 高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員 ![]() 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』(鉱脈社)、 『比木神楽』(鉱脈社)、 『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、 他に『鵜戸まいりの道』 『飫肥街道』(鉱脈社) 共著 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史(民俗)』 『北浦町史(民俗)』 『日向市史(民俗)』 『清武町史(民俗)』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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