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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.131 山陰百姓一揆に対処した高鍋藩
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
 元禄の初め大雨洪水が3年続き山陰では収穫が皆無、百姓は疲弊し窮状を幾度も延岡藩庁に訴えたが、郡代をはじめ代官の対応は無情なものだった。郡代梶田十郎左衛門は3年連続の凶作であったにも関わらず年貢取立てを厳しく行い、百姓は他領まで借金して上納する程であった。さらに新田畑の地子銀をこれまでは秋冬に上納していたのを、春に皆済するよう命じられ、衣類や道具を質入れせざるを得なかった。その上ゴマやナタネなどの作付、杉・楮・椿・漆・桑・栗・シュロ・くさぎなどを植えて上納せよと命じられ、百姓たちは決起した。

 元禄3年(1690)9月19日、山陰・坪谷両村などの百姓は川舟で余瀬(日向市)へ約430人、陸路又猪野(都農町)へ約600人、石並川原(日向市)約400人、石河内(木城町)へ3、40人が逃散した。最終的に高鍋藩又猪野に男821人女596人が小屋掛けした。

 高鍋藩の対応について、『高鍋藩拾遺本藩実録』で追ってみる。

 元禄4年正月6日、延岡藩主有馬氏の使者が欠落百姓を渡して欲しいと来る。
 7日、引取り使者有馬金兵衛が美々津に来る。高鍋藩からは小坂六郎左衛門ほかが美々津に行き話し合う。六郎左衛門と延岡役人が又猪野に出向き、百姓たちと話し合うが百姓たちは納得しなかった。
 12日、有馬金兵衛の使者が美々津に来る。欠落百姓との交渉を依頼する由。これにより河野七郎兵衛他が又猪野に行くが百姓たちは納得せず。
 24日、欠落百姓にも考えが分かれ11竃54人が説得を納得した。
2月朔日、欠落百姓20人程を江戸へ引連れると延岡藩から言ってきた。御使団並びに舎人3人が着く。
 21日、高鍋藩は20人は江戸行きを承知しないことを有馬金兵衛へ飛脚で連絡する。
3月9日、山陰立退き百姓の内、福瀬の者10竃が元の通り帰参。
 21日、5竃男女22人説得に応じ帰参する。
 29日、又猪野の欠落者に病人が多く発生、段々死に至る。百姓の願いで高鍋藩真言宗高月寺の祈祷札を調えるよう申渡した。
4月15日、欠落百姓の善内に公儀より召連れるよう飛脚が来た。これにより付人丸尾長兵衛以下7人、足軽6人。長兵衛の鑓持ち下僕1人。
6月22日、欠落百姓が大勢患い、美々津より(医者)2人遣わし薬を与えた。高鍋からも永友玄牧を遣わした。
7月4日、延岡より使者2人は美々津に来る。股猪野から178人を美々津に呼寄せ、評定を申渡した。又猪野の小屋は入らないよう壊した。
 13日、仁保庄兵衛より幸脇(日向市)で受取ると言ってきた。隈江五郎左衛門らが美々津に行き、泥谷次太夫などは又猪野に行った。翌朝庄兵衛が受取に来る言ってきたので、美々津川原に百姓たちを置いた。寝ずの番だった。

 高鍋藩は逃げて来た百姓一人当たり1日米3合を支給、これは後に延岡藩が返済することになる。幕府の裁定は、百姓善内ほか1人は磔、林田半蔵と百姓1人は打首、半蔵の子2人は死罪、百姓7人は八丈島へ遠島、籠死が5人で、その他は罪に問われないこととなった。郡代梶田ら2は人60国お構いの追放、政道不行届で藩主有馬清純は越後国の無城地糸魚川に所替えとなった。
 なお、山陰の成願寺に処刑された者の供養塔が文化8年(1811)建立され、これを朝参(ちょうさん)供養塔と言っている。

参考資料 『宮崎県史料第二巻高鍋藩拾遺本藩実録』宮崎県立図書館
     『宮崎県大百科事典』宮崎日日新聞社 『東郷町誌』東郷町
     『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』平凡社
2020-10-27 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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