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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.129 福嶋でのイタリア人伴天連捕縛の真相
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
 寛永14年(1637)7月9日、高鍋藩の飛び地福嶋郷崎田村(串間市)の百姓善四郎がイタリア国の伴天連(バテレン・神父)を捕え、泥谷監物と入江角右衛門が連行して長崎奉行所へ引き渡している。 
 伴天連捕縛は天正15年(1587)に豊臣秀吉が切支丹信仰禁止と伴天連追放を発し、高鍋藩は伴天連を見つけ次第知らせることを命じていたことによるもので、善四郎には褒美として銀子が下されている。
 伴天連捕縛の年、天草(熊本県)と島原(長崎県)の百姓が天草四郎(増田四郎時貞)を首領として大叛乱を起こした。天草や島原は元来切支丹信仰が強く、幕府の禁教政策に対する不満と島原領主の過酷な政治が重なり10月不満が爆発した。いわゆる島原一揆である。
 長崎や天草で布教していた伴天連が日本からの脱出を試み、現在の串間市崎田に潜み機会を待っていたものと解釈していた。
 ところが真相は全く逆、切支丹禁教の日本にわざわざ入国しようと崎田に来たというもの。永年この伴天連捕縛について調査研究されている串間市普門寺丸山隆照住職の論文から概要を報告する。

 伴天連の名前はマストリリ、1603年イタリアのナポリ王国侯爵家に生れ、16歳のとき、周囲の反対を押し切ってイエズス会に入り熱心な修道士となった。
 この頃、切支丹禁令下の日本は、若き修道士たちの間に「殉教」に対する願望が熱病のように蔓延、日本へ行けば確実に殉教者になれるという思いがマストリリにもあった。日本での布教が自分の使命と確信し、幾度もイエズス会へインド、日本での布教を願い出た。

 1635年4月7日、ザビエルの誕生日にポルトガルのリスボンを出航し、インドのゴア、マカオを経て、1636年7月フィリピンのマニラに着いた。その頃マニラには切支丹信仰で追放された日本人が多く住んでおり、彼らから日本語を学びさらに日本上陸時に使用する和船を建造し、同年9月薩摩沖に来航、崎田で和船に乗りかえ、更に進もうとしたが荒磯で破船、やむなく上陸し虻ヶ谷に隠れているところを善四郎に見つかった。
 15〜16世紀、室町幕府と明国の間で貿易が行われ、倭寇と区別するため明国が発行した合せ札で正式な遣明船であることを証明したことから勘合貿易といわれた。明国の港寧波(ニンポー)と堺(大坂)を結ぶ航路は、瀬戸内海を経て博多・平戸を経由する海路と、瀬戸内海・豊後水道を経由し油津(宮崎県)から坊津(鹿児島県)そして明国への海路、もう一つは土佐(高知県)を経て油津から坊津への海路があった。当時、坊津や油津、福嶋は薩摩島津氏の支配地で、福嶋崎田にも多くの外国船が来たらしい。

 16世紀末にオランダで作製された世界地図に日本が描かれており、九州と思われる島の右下にMinatoの文字、 丸山隆照氏は本城の入江が港で昔は「千野の湊」と言っていたと言われる。明治初期に編さんされた『日向地誌』の崎田港記述に「干潮深四仞(約8、4m)ヨリ四仞二尺(約9m)ニ至ル」とある。入江は周囲の地形から強風が直接吹き込まず、外国帆船の入港にも耐える水深があり良港だったのであろう。 
 マストリリは崎田の近くで和船に乗り換え密かに上陸した後、虻ヶ谷に潜んでいるところを善四郎に見つかり、通報を得た役人が包囲して捕縛した。
 長崎に送られたマストリリは水責め、梯子責め、焼き鏝責め、そして遠藤周作の『沈黙』にも記述してある深い穴に逆さ吊りする拷問にも耐えるが、最終的には斬首となった。
 マストトリは彼の伝記や報告書が多数存在するヨーロッパでは、有名な神父として崇められ、殉教も辞さない強い決意で日本での布教を試みた彼の行動は絶大な賞賛を得たのであろう。

参考資料『宮崎県史料第一巻高鍋藩本藩実録』宮崎県立図書館 
    丸山隆照「寛永14年崎田村善四郎が捕えたイタリア人伴天連をめぐって」 
    16世紀末オランダの世界地図 丸山隆照氏提供
※キリシタン禁制:近世、キリスト教を日本統治体制の害悪として排斥する政策。豊臣秀吉の伴天連追放令、江戸幕府の禁教令、宗門改制、明治政府に踏襲された邪宗門禁制など。1873年に解禁。(『広辞苑』)
2020-08-25 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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