ミテンの本棚 > 宮崎、歴史こぼれ話 | ||||||
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![]() コロナ禍が起きる前、外国人が増えることで、温泉街や町の銭湯では対処に困る問題が発生したことを報道していた。これら入浴施設では永年、入墨した人の入浴を拒んでいた。 昭和40年頃から東映などの任侠映画、やくざ映画と言われる現代の時代劇が人気を博した。抗争対立する組とか組織に抜刀で殴り込み、時代劇のチャンバラさながらの立ち回りを演じ、主役は上半身裸で背中から腰、腕にかけて見事な入墨があり、立ち回りを盛り上げていた。これらは多くの国民に入墨した者はやくざとか暴力団、反社会の人間というイメージを植え付け、風呂場に入墨人がいると他の者は恐怖を覚え以後入浴しないと思い、入浴を拒んだと想像する。 ![]() 日向国高鍋藩は宝暦14年(1764)12月7日、先ごろ欠落(かけおち、逃亡のこと)で召捕られた喜右衛門という者に、額に二通りの入墨をした上、身分を人足に落したとある。(高鍋藩『旧記抜書壱』) 嘉永2年(1849)3月17日、欠落したが帰参するか召捕られた者は叱りおく程度で許していたが、近来出奔が多くなったということから、欠落初回の者にも額に入墨する刑法を定めた。(『高鍋藩続本藩実録』) ![]() 昨年、ラグビーワールドカップ2019が日本で開催され、大いに沸いた。各国のチームには腕に入墨した選手が多くいたし、日本チームにも外国から移籍した選手に入墨が見られた。外国人は入墨を「タトゥ−」といい魔除けとかおしゃれで彫ると聞いたが、日本人も外国人の文化に慣れて許容するようになるのか、そのうち日本人のタトゥ−も増えるのか・・・。 日本では、古く「魏志倭人伝」に潜水漁民が「黥面文身鯨」していたこと、記紀に特定の部民や海人族が文身をしていたことが記されている。 アイヌの女性は口周りや手首周辺、手の甲に、奄美大島・沖縄でも女性は手の甲や指の背に入墨をする習俗があった。これら魔除けや厄払い、通過儀礼などの意味もあった。アイヌ女性や奄美の女性はある年齢に達すると入墨し大人として認められた。(『日本民俗大辞典上吉川弘文館』) ![]() 魔除けとか通過儀礼での入墨は次第に行われなくなるが、入墨は反社会の世界に残りマイナスイメージは蔓延ったと言える。 ※欠落、住んでいた所から逃げ出すこと。江戸時代、庶民には居所、職業の選択、言論自由など基本的人権は無かった。百姓が集団で村を離れることを逃散という百姓一揆で、首謀者は磔とか斬首など厳罰があった。 『万有百科大事典』小学館 『旧記抜書壱(一)』明倫堂文庫を学ぶ会 『宮崎県史料 高鍋藩続本藩実録(下)』宮崎県立図書館 『日本民俗大辞典上』吉川弘文館 |
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2020-06-24 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、 (県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員 ![]() 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他 【共著】 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史』 『北浦町史』 『日向市史』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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