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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.120 延岡藩の修験2
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
当山派修験

袈裟頭上之坊
 川島村須佐(延岡市)に所在、鶏頭山長岡寺上之坊と号し修験名を安龍院と言った。醍醐寺三宝院の袈裟頭。延岡に於いては恒富村光福寺の袈裟下で法式の触流等は当山役寺凰閣寺より直触で来ていた。
 元和元年(1615)法印快善が役所に提出した由緒によると、霊亀2年(716)沙門正覚が紀伊国(和歌山県)玉置山より熊野三尊分霊の鏡3面を持って諸国行脚、養老2年(718)延岡須佐山に野宿中三尊が夢に現れたことから、この地に長岡寺と熊野権現を創建したという。
 中世は土持氏、近世には高橋氏、有馬氏など領主の庇護を受けるが、明治4年(1871)川島神社に合祀され、同14年復社し現在熊野神社となっている。

醍醐寺文書「日向」で上之坊をみると、
 寛延二年(一七四九)十月二十一日 延岡安龍院快弁 出 
 宝暦五年(一七五五)六月二十九日 延岡川嶋村ケサ頭安龍院慶信 院号錦 ケサ衣御書出シ 
 安永四年(一七七五)七月十四日   臼杵郡川嶋村安龍院慶信出世御推袈裟頭也
 安永六年(一七七七)七月二十四日  臼杵郡川島村安龍院慶信 黒九條 
 天明八(一七八八)七月二十五日   延岡臼杵郡川嶋村安龍院慶善 ケサ頭御書出し
 文化元(一八〇四)月日不明     延岡上之坊慶養 九條錦
 文政四年(一八二一)七月二十二日 臼杵郡延岡領川嶋村上之坊長岡寺慶山 袈裟頭継目
 天保七年(一八三六)八月二日    延岡長岡寺安龍院慶珠 ケサ頭継目九條披
である。

上之坊安龍院配下山伏 (文政2年)
上之坊 − 
 峯本院、慈照院、天龍院、遍照院、清寿院、
 慈明院、龍教房(川嶋村)
 大徳院(岡富村)
 文殊院、蓮乗院(恒富村)
 愛染院(粟野名村)
 延命院(南方村)
 乗秀院、龍王院、室徳院(北方村)
 金剛院(熊野江村)
16か院と上之坊内弟子仙学房・普門房の2人がいた。(※5)

袈裟頭愛山寺
 延岡南方村松山にあった。一乗山愛山寺と号し醍醐寺三宝院末で袈裟頭、修験名を大勝院と言った。延岡に於いては恒富村光福寺の袈裟下、法式の触流等は当山役寺凰閣寺より直触で来ていた。
延享4年(1747)寺社奉行に提出した由緒によると、祖は土持栄妙、14代から修験僧となり本学坊を名乗る。本学坊4代後から大勝院を名乗り以後続く。土持栄妙は田部栄妙とも称し、田部氏は古代から中世の豪族であった日下部氏と並ぶ日向国北部の豪族であった。日下部氏が妻万神(西都市)とのつながりをもつ土着豪族とされるに対し、田部氏は宇佐氏・大神氏・漆島氏とともに宇佐八幡宮祠官四姓と言われた一族で宇佐から日向に入部したとされる。

 寛永15年(1638)有馬庚純が肥前国島原出陣のとき供奉を命じられ、それまで大聖院を名乗っていたが「聖」の一字を「勝」に替え大勝院に改めた。愛山寺は大将軍社と地蔵堂を永田に祀り、末寺に北方村福生寺があった。現在、跡地に妙見を祀る祠が建立されている。

醍醐寺文書「日向」
 「日向」から愛山寺大勝院分をみると、
 寛延二年(一七四九)十月二十一日  延岡ケサ頭大勝院真賀 出 
 宝暦十二年(一七六二)七月二十六日 延岡臼杵郡松山村大勝院真養 ケサ頭御消息越
 寛政八年(一七九六)七月二十八日  臼杵郡南方村大聖院真休 ケサ頭継目大越家
 文化九年(一八一二)八月二十日   臼杵郡南方村大勝院真純 ケサ頭継目 
 天保十五年(一八四四)八月十五日  同所大勝院真英 ケサ頭継目 
 文久四年(一八六四)六月八日    延岡臼杵郡南方村大勝院真照 ケサ頭継目
である。

愛山寺大勝院配下山伏 (文政2年)
愛山寺 −
 智照院、蓮応院、智光院、真蔵院、
 智禅房、勝教院、寿仙房(南方村)
 良山、浄寿院、教寿院(岡富村)
 延寿院(古江村)
 明王院(宇納間村)
 右教院、長泉院(北方村)
 来寿院、仙学院(御料日知屋村)
以上16ヶ院と内弟子珎栄房がいた。(※6)

 前述の光明寺・上之坊・愛山寺と時代が異なるが、江戸末期行縢山の麓、舞野に延命院という当山派修験の袈裟頭がいた。文政2年(1819)には川嶋上之坊の配下で小先を勤めていたが(※9)独立し、嘉永7年(1854)4月18日、延命院良隆は三宝院から袈裟頭に任じられている。慶応4年(1868)9月寺社奉行に提出した配下山伏は18か院(※10)であった。

脚注
※5※6内藤家文書「社人修験面附 文政二卯年五月改」明治大学所蔵
※10内藤家文書「配下中名面附延命院」明治大学所蔵
参考資料
前田博仁著『近世日向の修験道』鉱脈社
2019-11-26 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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