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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.109 自身を人買いに売った桜子
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 宮崎市木花、その町並みの西に木花(きばな)山という台地がある。現在その台地は宮崎大学キャンパスを中心に閑静な学園木花台という団地となっている。台地の東端に木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祭神とする木花神社が鎮座、その神社から下る坂の途中に清水が湧き出る「桜川」がある。広さ縦3m余、横2m程、深さ1m程、木花開耶姫が産湯につかったと地元では伝える。

 室町初期の能役者で能作者でもある世阿弥(1363年〜1443年)は、日向国(宮崎県)の「桜子」という少年が貧困のため人買い商人に自分を売り、それを知った母親は物狂いとなって放浪、常陸国(茨城県)の桜川でめぐり会うという謡曲「桜川」を書いている。
 あらすじを紹介する。東国の人買いが九州日向国の桜馬場というところで桜子という少年を買い取った。桜子に頼まれた人買い商人は母を訪ね代金と桜子からの手紙を手渡した。手紙には「これまでの母のみじめな生活を見るにつけ、余りの悲しさに人買い商人に自分自身を売って東国へ行きます」とあった。母は驚き悲しみ、泣く泣く我が子を捜して遠い東国へ向かう。
 桜子は常陸国磯部寺(茨城県岩瀬)の住職の弟子になっていた。住職は桜の名所「桜川」の桜が今は盛りと咲き乱れていることを知り、桜子を伴って出向いた。
 海山を越えて常陸国までやって来た母は、「ここに有名な桜川という名所がある。捜している我が子の名も桜子、懐かしい思いで桜川に散って浮く花びらを掬って花衣の形見として残そう」と桜川のほとりにたたずんでいた。我が子恋しさに母はすでに気が狂っていた。
 住職が「そなたの国はどこか」と聞くと、「遥か遠く筑紫(九州)の者です」と答える。「何故そのように狂気となったのか」と問えば、「たった一人の我が子と生き別れ、心が乱れました」。さらに「故郷の神社は木花開耶姫を祀り御神体は桜の木です。別れた我が子もその神社の氏子なので「桜子」と名付けました。この川が桜川というのも懐かしい」という。
 聞いていた桜子は母の前に名乗り出た。3年もの月日が経ており、母と子の元の姿は変わっていたとはいえそれは母子であった。ようやく対面できた母子は嬉し涙に呉れるのだった。それからこの母子は連れ添って日向の国へと帰った。
 この謡曲「桜川」は日向国の木花を訪れた知識人は知っていた。

 延宝3年(1675)9月17日、全国の一之宮社を訪問した橘三喜は「熊野原を行き過ぎ、たさじ(この地名不明)という所を通りけるに、入海広く見へけり。近き頃まで、とんところ(外所)という村ありけれども、大地震に津波来りて、今は入江に成たると聞く(中略)、左の方海こしに、吾田山后原(木崎原)とて、木花開耶姫の出給ひし所見ゆ、道より少し隔て桜川有り」(『一宮巡詣記』)と記している。

 江戸中期の尊王家高山彦九郎が、寛政4年(1792)6月木花を通っている。
「十三日、熊野原ヨリ東十五丁ばかり(1.6km)桜川を見る、二間斗(3.6m)の井也、爰を木花といふ、法満寺(明治初期廃寺)とて寺有り、二十石附く、境内に開耶姫大権現の社(木花神社)、東向に立ツ」(『筑紫日記』)
 飫肥藩最後の家老平部嶠南(きょうなん)は、明治10年(1877)頃の記録に桜川を書いている。「木花山旧法満寺ノ東側ヨリ正蓮寺ニ下ル阪ノ中央ニアリ、池縦二間余横一間、土人(地元の人々)之ヲ桜川ト云」(『日向地誌』)
 橘三喜が木花を通ったのは343年前、高山彦九郎は226年前、二人は謡曲「桜川」を知っており、その一場面を構成する「桜川」が木花に有ることを知っていた。現代のようなテレビも新聞もネットもない時代、驚くばかりである。
 地名の木花は木花開耶姫の伝説からきている。木花(このはな)は木の花、つまり山桜を指す。木花には天孫降臨神話が伝わり、瓊々杵命は桜花のように美しい木花開耶姫に一目惚れして夫婦になり、二人には火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)の3人の男児が生まれた。木花の別な呼び方に「木(きさき)」があるが、木花開耶姫が瓊々杵命の妻、「后」・「妃」(きさき)だからか。
 木花の近くに亜熱帯植物群落で名の知れた青島があり、そこの青島神社は火遠理命を祀るなど、木花周辺は神話に因む地名が多くある。

※寛文2年(1662)日向国に起きた大地震。「外所大地震」といい木花周辺は陥没して入江となった。
参考資料:『木花郷土誌』 室伏勇『写真で綴る文化史シリーズ1茨城の文学碑』
2018-12-25 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会副会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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