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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.108 織田信長の孫が日之影に祀られている
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 宮崎県日之影町に深角神社が鎮座する。祭神は素盞鳴命、織田信長公霊、菅原道長公、他。深角神社は元もと織田大明神社と言っていたが、明治4年(1871)杵築大明神、熊野大明神、天満神社など同地区の神社を合祀し深角神社と改称した。
 織田信長とは歴史上最も有名な戦国武将。なぜ、中央から遠く離れた日向国(宮崎県)の、さらに辺境の地に信長を祀るのか。当神社境内に「圓寂 心空院不生道本居士」とある墓石がある。「院号」であることからそれなりに地位のある人物であることは想像できる。傍らに立つ説明文には「織田半兵の墓 寛文年間(1661〜73)延岡城主有馬康純の時代、織田信長の孫といわれる織田杢之丞と半兵兄弟が罪を得て有馬氏に預けられた。有馬氏はこれを高千穂郷の深角に兄半兵を、同郷平底に弟杢之丞を幽閉した。寛文12年3月7日に半兵が、同年3月14日に杢之丞が死去した。杢之丞の墓は平底にある。」

 平底の説明文「圓寂 法玄院天性智居士。織田杢之丞の墓。」寛文年間に織田杢之丞と半兵兄弟が延岡藩主有馬永純の御伝役として来延し仕えることになった。この兄弟は日之影町にある昌龍寺過去帳によると、「摂州尼ヶ崎城主織田七郎左衛門信澄の息子兄弟之由云々」とある。伝説によれば、杢之丞が永純公の勘気にふれ、杢之丞を平底に半兵を深角の牢に送った。二人とも牢死した(後略)」
 村人の言い伝え、織田半兵は弟杢之丞とともに何らかの罪によって日向国に流され、しばらく延岡藩主有馬氏に預けられていたが、あるとき有馬氏が半兵の下駄を履いたら足に付いて離れなかった。そのとき半兵が「許す」と言ったらすぐ離れた。家老は殿様に対して「許す」とは無礼だと怒り深角に送った。あるときお上から彼らを殺せという達しがあり、半兵を殺しに向かった者達は窓下で「火事だ」と叫び、半兵が首を出したところを挟木で絞殺した。その後深角では火事が多くなり、火事といえば「深角だろう」という程であった。人々は織田様の祟りだと考え、小石に大般若経を書いて埋め、社を建てて織田大明神と崇め祀ったという。
 織田信長は天正10年(1582)、家臣明智光秀の謀叛により本能寺で自害、信長の嫡男信忠も攻められ自害した。信長の孫と言えば、テレビドラマなどで、信忠の長子三法師(秀信)を秀吉が抱いて現われ、清州会議を制する場面を想起する。近年ではフィギアスケート選手だった織田信成氏が織田信長の子孫と言われたことは記憶に新しい。
説明板にある「織田信長の孫の織田杢之丞と半兵兄弟が罪を犯し有馬氏に預けられた」、別な説明板の「織田杢之丞と半兵兄弟が延岡藩主有馬永純の御伝役として来延し仕えることになった」、昌龍寺過去帳に「摂州尼ヶ崎城主織田七郎左衛門信澄の息子云々」など違っており、その真偽について確認はできなかった。何しろ織田信長には12人の息子がおり、この12人にも息子つまり信長の孫がいる訳で、その中に半兵・杢之丞がいるのか否か確認はできなかったが、日之影の深角、平底ではこの二人を「織田様」として丁重に祀り、墓石を大切に守っていることは事実である。

※圓寂;円満に寂滅すること。入寂。
『日之影町史九資料編4民俗』日之影町、『宮崎県庁文書「管内小社 合併社号改称届」』
『宮崎県神社誌』宮崎県神社庁
2018-11-27 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会副会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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