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体で感じる・心が育つ
こどもに関するコラム集!専門家がコラム・情報を掲載しています。
 
No.129 第2章 1985年〜1986年 PART2
原 田 京 子 ( 児童文学作家 )
 1985年7月、ニューヨークはマンハッタンでの生活が始まります。
 住むことになったアパートはコロンビア大学のすぐ近く。大学が用意してくれたもので、住人のほとんどがコロンビア大学の関係者。同僚の日本人の方々は、ニュージャージーから自動車通勤をしていたので、アパートの住人に日本人は見かけませんでした(当時、コロンビア大学の周辺は危険な地区があり、お子さんのいる日本人はたいていニュージャージーの安全な住宅街に住んでいました)。

 夫の同僚の方の紹介で、コロンビア大学の英会話のクラスに参加することにしました。このクラスは、コロンビア大学の大学院生の教育実習のようなもので、将来、英語を母国語としない人々に英語を教えるためのトレーニングのために設けられたクラスでした。
 授業は月曜日から金曜日まで、午前10時から12時までの2時間。クラス分けのための「聞き取り」と「文法」のテストがありました。100人ほどの人がテストの点数別に、初級から上級までの20人ずつの5クラスに分けられます。初級のクラスは、英語をまったく学習したことがない人がほとんど。上級クラスは、英語を第二外国語として学習してきた人たち、つまりはほとんどが日常生活において英語を話せる人たちでした。 
私はテストの点数が100点満点中の98点でしたから、上級クラスに入りました。1番点数が高かったのは100点満点のインド人の俳優志望のハンサムな青年でしたが、最初の何日間か参加しただけでした。仕事が忙しいということでしたが、もしかしたら、英語はペラペラだったので、授業の内容が物足りなかったのかもしれません。私は彼の次に点数が高かったのですが、彼と違って、英語はほとんど話せませんでした。クラスメイトのほとんどがヨーロッパ人で、ふだんから英語を普通に話している人ばかりでしたので、授業はディスカッションが大半を占めました。みんな活発に議論をするのですが、私はついていけません。終始、貝のように口をつぐんでいました。
 以前、コラムにも書きましたが、ある日、事件が起こります。クラスを終えて帰ろうとすると、クラスメイトたちが私をいっせいに取り囲みました。そして、その中の1人がこういったのです。
「あなたはどうしていつもだまったままで自分の意見をいわないのか?
 何を考えているのかわからない」と。
 私はこれまでこんな状況に出くわしたことはなかったので、びっくりしました。彼らは、私が英語を話せないなんて思ってもいないのでした。なぜなら、テストの点数は満点近いし、文法の授業の時にはちゃんと答えていたからです。
私は、なんとかして自分のことを説明しなければならない、そう思いました。そこで、拙い英語で一生懸命説明しました。
「私は、中学校から大学まで英語の勉強をしていたので、文法はなんとか理解できますが、英語を話す機会がほとんどなかったので、自分の意見を英語でいうことができません。上手く話せる自信がありません。」と。
 私がそういい終わったとたん、その場の空気がガラリとかわりました。そして、私を取り囲んでいたクラスメイトの表情もとたんに優しいものになり、みんなが口々にいいました。
「話せなくても、少しも恥ずかしくない。私たちはちゃんとあなたの意見を聞いてあげる。だから、間違ってもいいから、自信をもって自分の意見をいったらいいよ」と。
 そして、それからは、クラスメイトたちは、私が意見を言う機会を作ってくれ、たどたどしく話す英語をちゃんと聞いてくれ、上手く話せたときには拍手を送ってくれました。そうして私は、少しずつ英語を話すことに自信を持てるようになっていったのです。「自分を理解してもらうためには、一歩前に出て、ちゃんと自分の意見をいうこと。
 うまく英語を話せないことより、自分を理解してもらう機会を失うことの方がずっと損なこと」ということを、私は理解したのでした。
 英会話のクラスが終了すると、打ち上げのパーティがありました。自分の国の料理を作って持ち寄るのが決まりでしたが、私は、からあげや、エビ、ズッキーニなどの野菜の天婦羅を作りました。日本人の作ったお料理が一番好評で、私の作った料理もすぐになくなってしまいました。ニューヨークにいる間はずっとこの英会話のクラスに参加し、さまざまな国の人々と友達になることができました。

 さらに、私は、コロンビア大学での英会話クラスとは別に、リバーサイドチャーチが行っている英会話のレッスンにも参加しました。このレッスンは教会に登録しているボランティアの方がマンツーマンで行ってくれるもので、相手の方と自由に会って英語で話をするというものでした。私の先生は、サラ・パーカーという女性の方で、その当時すでに72才。そのころまだ20代の終わりだった私とは、40才以上の年の差がありました。ミス・パーカーはかつてニューヨーク市立図書館で司書として働き、退職してからは、こうしてボランティアをしたり、ニューヨーク市立大学に聴講生として通ったりと、本当にアクティブな生活をしていました。
 機会あるごとに私を街に連れ出してくれて、さまざまな場所に連れて行き、貴重な経験をさせてくれました。もし、ミス・パーカーと出会っていなかったら、今の私のパーソナリティは確立していなかっただろう、そう思えるほど、私の人生に大きな影響を与えてくれました。
 来月は、このミス・パーカーとの出会いについて書いていきますので、どうか、お楽しみに。 
2018-11-01 更新
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著者プロフィール
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
『おひさまがくれた色』(2017みやざきの文学「第20回みやざき文学賞」作品集)

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