宮崎みんなのポータルサイト miten !でグルメ・イベント等の生活情報をチェック!
チラシ特集2017 4月
ユーザー名:
パスワード:
トップ | 無料会員FAQ | サイトマップ | リンク集 |
すべて 食べる
遊ぶ 買う
キレイ 暮らす
健康 医療・福祉
でかけてmiten
買ってミテン
働いてミテン
ミテンの本棚  >  宮崎、歴史こぼれ話

宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.105 若い男女が心中、それは獄門
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 弘化4年(1847)7月22日の出来ごと、「清武木原ノ足軽櫛間兵左衛門カ子豊蔵、外山福寿ト云フ者ノ下卑都賀ニ密通シ、上使橋川ニ於テ相対死セシ趣、通使ニテ申シケレハ死骸斬罪ニ行ハレ、首ヲ獄門ニ梟(さら)セラル」(『六粼荘日誌』)と飫肥藩最後の家老平部嶠南の日誌にある。

 清武木原は現在の宮崎市清武町木原、そこの足軽櫛間兵左衛門の息子豊蔵と、外山福寿という者の下女都賀が恋愛関係になり、上使橋(清武町新町)が架かる清武川河原で心中したという知らせが来た。使いによると二人の遺体は打ち首にして、首は見せしめとしてさらし首にしたという。

 江戸時代、男女が自由に恋愛し好き同士が結ばれる世ではなく、大名から下級武士に至るまで、大名は将軍の、上級武士は大名の許可を得なければならなかった。元和元年(1615)幕府が初めて出した「武家諸法度」では「私に婚姻をむすぶべからず」とある。「私に」は密かに、内密で、自分勝手に、つまり許可もなく勝手に婚姻を結ぶなということである。大名の場合は婿方・嫁方双方が親しい旗本を通じて老中へ願い出る。すると間もなく「幾日何時登城せよ」と老中連名の切紙が来る。使者を登城させると「願の通り縁組仰せつけらる」と口頭で申し渡された。許可された大名は御礼勤めといって、すぐ老中の屋敷を廻り礼をしたという。
 江戸時代は将軍を頂点とする三角形の身分制度、上から下までそれぞれに上役がいたので婚姻はそれぞれの身分の上役の許可が必要であった。
 「密通致し候妻、死罪」「密通の男、死罪」「密通の男女共、夫(が)殺し候はば、構無し」。今でいう不倫した場合は女も男も死罪、夫が不倫の二人を殺した場合は夫は無罪であった。

 上使橋川原で心中した二人は当時の常識からは許されない関係、身分が違った。男の父は足軽、女は外山福寿とあるが良く分からない人物の下卑。下卑は下女か召使、もしかするともっと低い身分の女と思われる。
 叶わぬ恋と分かっている二人は川原で相対死(心中)したが、幕藩体制はこれを許さなかった。死んだ二人の首をはね、首はさらし首にしたと嶠南は書き何の感想もない。当たり前のことだったのであろう。さらし首とは道脇の棚に首を置き、何故罰を受けたか理由が書いてある高札が立っていた。
 江戸時代は婿方・嫁方共に同じ身分が原則条件であった。武士以外つまり庶民は自由に婚姻ができたが、それでも家柄や貧富などを考慮し「家がつり合う、つり合わない」などといった。昭和40年代まで明治生まれの年寄りは家のつり合いを言っていた。

参考資料 平部嶠南『六粼荘日誌』 稲垣史生『時代考証事典』
※通常は橋を架けないおき上使がきたとき橋を架けたことから上使橋といった。飫肥藩は巡見使のときも橋を架けている。上使とは江戸幕府から諸大名などに上意を伝えるために派遣した使者。巡見使は諸国に派遣して、地方政治を監察させた臨時の役人。(『広辞苑』)
2018-08-28 更新
2018 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09
2017 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2016 | 01 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会副会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
(1) 2 3 4 5 6 7 8 9 10 » 
PopnupBlog 3.0 Denali-1225 created by Bluemoon inc.  
e87.com(株式会社千趣会イイハナ)
富士通パソコンFMVの直販サイト富士通 WEB MART