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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.101 山之口の寒天製造窯跡
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 都城市山之口町永野集落に寒天を作った窯跡がある。
 貞享2年(1685)山城国伏見の旅籠美濃屋の太郎左衛門が、トコロテンから寒天を得たと伝える。寒天は海藻のテングサを煮て溶かし固めたトコロテンをつくり、それを氷点下の気温に晒して凍らせ、日中にとかし脱水を促す。これを2週間ほど繰り返して乾燥させ寒天に仕上げるというもの。主な生産は長野県と岐阜県で、寒暖の差が寒天製造に合っているという。

 江戸後期、薩摩藩は500万両の借財があり、藩生産総額が年13万両に対し返済額は19万両といい財政は破綻状態であった。
 薩摩藩は農政改革、増税、商人達には無利子の250年返済、いわゆる踏倒しを実行、さらに清(中国)と密貿易も行った。江戸時代、外国との貿易は江戸幕府が独占し藩が交易することは禁止していたが、薩摩藩は奄美大島で生産する砂糖や乾燥寒天などを琉球を通じて清へ密輸した。

 永野に寒天工場をつくる計画は、家老調所広郷と指宿の豪商浜崎太平治であった。青井岳に水源を発する有水川は永野集落を流れ大淀川に注ぐ。東西に形成する谷筋は霧島山から吹く西風「霧島おろし」が恰好の風の道となり、南国薩摩と言っても、永野は藩内でも有数の寒冷地であった。寒天製造における気象条件である厳しい夜間の冷え込みと昼間の陽気は、寒天製造のための自然的・地形的条件に適していた。

 もう一つは政治的条件で、外国との密貿易品である寒天製造は幕府に絶対漏れてはならないことであった。そのために永野周辺には有水に通じる星原に辺路番所、南の鹿児島往還に日当瀬、北側に岩屋野、東に飛松と辺路番所を置き、山之口郷の中心地麓には一ノ渡(山之口)番所を配し、人の動きを厳重に監視し制限した。永野には他所者を絶対近づけない万全の体制をつくっていた。飫肥藩田野(宮崎市)から薩摩に入国する者は一ノ渡番所で審査し、境目番所の機能を保持していた。

 江戸時代、薩摩藩は一向宗弾圧と密貿易の秘密保持のため、藩外から入国する者を厳しく制限し、藩境には100を超える辺路番所を、主たる街道9か所に境目番所を設置していた。辺路番所は見慣れない者、怪しい素振りの者などを見付けると役所に通報、これは藩外からの密入国者だけでなく、禁制の薩摩一向宗門徒や困窮の百姓が藩外に逃亡するのも見張った。
 境目番所は今でいう入国管理局に当たり、入国理由を訊問、通行手形(パスポート)を確認、入国を認めても毎日宰領をつけ、入国時に申し出た目的や順路を反れないか出国まで監視するというものであった。現在の社会主義国と同様のことを薩摩藩はしていた。日向国から薩摩に入るには去川(高岡)・紙屋(野尻)・梶山(三股)・寺柱(三股)の境目番所があり、特に厳しい審査をする「去川の関」は永野寒天工場の北にあった。

 嘉永6年(1853)11月、漸く薩摩藩主になった島津斉彬が日向国を巡見している。
 12日午前10時頃城を出立、大隅半島を南下、佐多御崎神社を参拝し大根占、内之浦、夏井、志布志とまわり、12月3日高城(都城市)に止宿、翌日午前6時頃発ち、浜崎太平次の干藻場を見物している。干藻場とは寒天材料である天草の干し場の事と思われ、藩にとって重要な産物であった寒天生産を藩主に知って貰うため案内したのであろう。
 寒天製造は明治初め頃まで行われたが、その後人々の記憶から薄れ、昭和45年頃窯跡は竹藪に埋もれ全容を見ることも出来ない状況であった。昭和57年山之口町は薩摩藩の歴史的価値を認めて窯跡を整備し史跡に指定した。

※寒天はテングサやオゴノリなど紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したもの。羊羹やゼリーなど菓子材料などに使用される。

参考資料:塩水流忠夫『宮崎県地方史研究紀要第二十輯』〜薩摩藩の寒天工場経営とその遺跡の保存顕彰について
2018-04-24 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会副会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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