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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.95 惜しい人材、島津啓次郎
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 島津啓次郎は第10代佐土原藩主・島津忠寛(ただひろ)の第3子として、安政4年(1857)佐土原に生れた。3歳のとき寺社奉行町田宗七郎の養子となるが、19歳のとき縁を解消して島津姓に戻した。
 11歳のとき東京の勝海舟の門に入り、海舟の奨めもあり藩費留学生として米国に渡った。明治9年(1876)4月、啓次郎は6年半の留学を終えて帰国、奥羽地方の旅行に出発、戊辰の役で戦没した佐土原兵の霊を弔った。佐土原に帰った啓次郎は、新知識を教える晑文黌(きょうぶんこう)を下田島の天神に設立し、さらに修養道場自立社を組織した。
 「西郷立つ」の報は啓次郎を奮起させた。西南の役に参加した佐土原隊は最初400余名、総裁は島津啓次郎がなった。

 明治10年2月9日、佐土原1番隊出陣の日に武装した1団が自立社に集合したが、和服のつつ袖に羽織、ズボン姿。刀を腰に差し手に銃を持つという出立ちだった。銃は戊辰の役に使用した旧式銃だった。
 3月9日、佐土原3番隊4番隊が熊本に着き、3月15日本営の命により2隊に分かれ、1隊は田原坂の激戦に参加し多数の戦死傷者を出した。西郷軍は敗走を続け、佐土原隊は矢部に向かって退却、日は暮れ暗闇のなか崖を登り峰を越える山中8里、矢部に着いたのは夜中であった。
 啓次郎は士官を集めて言った。
 「我が隊は先を争って敵を攻め勇戦奮闘よく戦った。しかし薩軍各隊の統制はとれず、その上命令のとおり行動せず、戦々恐々として危ないとみると逃げ出してしまう。我が隊の死傷が多かったのも、全軍が敗れたのもその故である。自分か考えるにこの頃の本営の態度をみると、綿密な作戦計画をたてず、その場その場の苛酷な用兵のため多くの兵を無駄な死に追いやっている。そのことを進言すれば、言は取り上げず卑怯者とののしる。このようなことではどうして我らの目標が達成され、我らの義挙が成功しようか。(略)自分は義挙の実情をのべ種々請願してみたい。幸いにしてそれが成功すれば戦死者もまた瞑するであろう。我が身をおしむためではない。諸君、隊をといて引上げよう。」
 5日鞍岡→上椎葉→上渡川→銀鏡、7日小川→越野尾→尾泊を経て妻そして佐土原に帰ってきた。しかし、佐土原では「出陣しない者は敵、殺せ」と攻めたてるなど、啓次郎らの戦線離脱の心情を理解する者はなく、再び隊を編成し出陣に追い込まれた。啓次郎を中心に再編成された1隊は都農に行き、延岡から西郷軍本部への連絡を試みたが、すでに本部所在は不明だった。隊の中には勝手に引き上げる者も出て困難な事態となり解散した。啓次郎はますます不利な立場におかれ、命をねらう者も出かねない様相となった。啓次郎の安全のためにも、5月11日もう一度隊を編成するため川南小学校に集り、鶴田六郎を長に生き残り隊員100名余で結成した。遊撃隊3番隊として人吉に向かって出発した。7月22日村所と小川の中間にある天包山で攻防戦を繰り広げた。全精力を使いはたし、小川に火を放って退却した。7月30日夜、杉安が目の下に見える所に来た。一ツ瀬川の流が見え、佐土原と思われる方角で火事が起こっていた。夜中過ぎ「宮崎はすでに落ち、佐土原に迫る。川北へまわれ」の指令を受けて穂北に下りた。8月2日新田の向原に進み、官軍と戦うが隊員わずか18名に減り四散、遊撃隊はここで消滅した。
 9月24日西郷らが籠った城山が陥落した。能勢直陳などが城山に出向き啓次郎の死骸を探したが発見できなかった。傍らに島津家紋章入りの短刀があった死体を、啓次郎の遺骸として西郷墓地に移したという。弱冠20歳。
 
参考資料:『佐土原町史』佐土原町、『宮崎縣大觀』青潮社、『写真集宮崎100年』宮崎日日新聞社
2017-10-24 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会副会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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