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ミテンの本棚  >  ある国に宮崎人がおったげな・・・

ある国に宮崎人がおったげな・・・
各国で暮らした経験のある宮崎人が
旅行では知ることのできない
リアルな体験記をつづります。
 
No.18 世界の出会いと別れ
中西 真伊子 ( JICA宮崎デスク )
こんにちは。JICA宮崎デスクの中西です。
っと挨拶するのもなんと今回で最後となってしまいました。
いつもご覧くださっていた皆様、ありがとうございました!!
このコラムは、後任が引き継いでまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、そんな出会いと別れの季節にちなんで、今回のテーマは「出会いと別れ」。
それでは、ご覧くださいヽ(^o^)丿

**********

■女性Aさん(宮崎市:韓国に2006年まで暮らしていました。)
「とある友達との出会い」

韓国暮らしも落ち着き、片言の韓国語が話せるようになったので、友達もどんどん作りたいなーと思い始めたころの出来事でした。
地下鉄のホームのギャラリーで、写真の個展をしている人を発見。
「よし!声をかけよう!!」勇気を振り絞った。
相手も答えてくれた。おー、私の韓国語が何とか通じているようだ。ボソボソと言葉少なな返事が、これまたクール(?)でアーティストという感じだ。
苦労してなんとか話を続ける努力をしたが、片言の韓国語とクールなアーティストではなかなか話が続かない。
思わず、日本語で「なんて言ったらいいんだろ・・・」とつぶやいたところ、アーティストが「え?」と言う。私も「え?」っと言う。
・・・この「え?」、聞きおぼえがある。明らかに日本人の聞き返しや驚きを表す声だ。

お互いに、相手が韓国人だと思い込み、頑張って会話していたのです。
見た目が韓国に馴染んできた証拠です。よね(笑)?


■女性Bさん(宮崎市:中国に1999年まで暮らしていました。)
「これも一つの出会い」

私、違法タクシーのお兄ちゃんと手紙のやり取りをする仲でした。

通っていた学校の校門でいきなり声を掛けてきた彼。
「俺のタクシーに乗らないかい?」当時は、こんな“ノリ”が普通という時代だった。
これがきっかけで、お抱え運転手だけにとどまらず、お家にお呼ばれされたり、日本からの友達が来たときは万里の長城まで乗せて行ってくれたり、なぜか一緒に登ったり(この時の料金が高かったのか安かったのかよく分らないけど)、と交友が始まったのでした。

でも、帰国後、もう一度彼を探しに行ったけど、見つからなかったんだよなー。


■女性Cさん(宮崎市:ブラジルに2003年に仕事で行っていました。)
「日本のこころ」

ブラジル滞在中のある日、“フェスティバル ド ジャポン”に行ってみると、そこでは、日系ブラジル人が作る日本各県の県人会が集結していた。彼らは、異国で暮らしながらふるさとの文化を守っていた。

滞在最終日、日系人の方々が日本語で歌ってくれたのが「ふるさと」。
この曲を、知ってはいたけど、歌ったこともなかったし、お別れの場で聞くのも初めてだった。
でも、あの時、あの歌を聴いたとき、「日系人の人々の心にあるふるさと」と「私の思うふるさと」がその歌によってシンクロしたのを感じたのです。

皆さんとは2度と会えないかもしれない。
でも、「ふるさと」を聴くたびにあの時の感覚を思い出すのです。


■女性Dさん(串間市:カナダに2001年まで暮らしていました。)
「私のかわいいダニエル」

私がベビーシッターをしていた女の子、ダニエルが小学1年生になったころだった。
帰国の準備で服をスーツケースに詰めていると、ダニエルがおもむろに入ってきて、近くに正座して、まるでお母さんのように、私の洋服をたたみ始めた。

「私がしてあげるから。」っと言って、突然泣き出した。
“私だってあなたと離れたくないんだよ。”と心の中で思う。
すると、ダニエルは唐突に尋ねる。「彼氏はいるの?」
“あぁ、きっと日本に彼氏がいたら、もう帰ってこないかもって心配してるのね・・・”
「いないよ。大丈夫だよ。」と答えてあげた。
するとダニエル・・・「私はね。2人いるの。」
“うん???”
「ショーンは算数が得意でね、マーカスはスポーツが得意なんだよ。それでね、それでね・・・(つづく)・・・」
“あれ?なに泣きだったのかな?”


■新JICA宮崎デスク 田佳予子
(宮崎市:インドネシアで青年海外協力隊、栄養士(母子保健)として活動し、2010年に帰国しました。)

「よろしくお願いいたします。」

こんにちは。JICA宮崎デスクの田です(コラムNo16著)。
これから中西の後任としてお世話になります。

私は、栄養士としてインドネシアの栄養失調児専門病院で勤務していました。
その病院を去るときに、同僚の医師や看護師らが用意してくれたサプライズ。それが、右の写真です。
なんと、これ私がプリントされた横断幕。しかも“WE LOVE U SAKI”です。
この横断幕、今でもずっと病院に掲げてくれてるのだそうです。
嬉し恥ずかし、くすぐったい「別れ」の思い出です。

さて、これからは新たな「出会い」を楽しみに、このコラムを私が引き継いで参ります。
どうぞよろしくお願いいたします!

***********

いかがでしたか?
誰にも出会いと別れの思い出があるものですよね。

私も、このコラムのNo1の最後に書いた友人BOHKEとお別れをするとき、彼女の部族ではお別れの時に涙を見せると旅立ちが悪くなるというジンクスがあって、二人で涙をこらえて変な顔で見つめあって抱き合ったことが思い出です。
そして、「一人でいてはいけない。私たちが家族だよ。」といつも私を支えてくれたBOHKEの母親であり同僚でもあった先生が、帰国後亡くなってしまい、日本だったら治る病だったかも知れないのにと、何とも言えない気持ちになったことが忘れられません。

そんな人々との出会いが何よりも宝物です。

さて、終わりも近付いてまいりました。
人と人をつなぐ仕事である国際協力推進員としての日々、そして、このような場でたくさんの人々に世界の息遣いを伝えることができたこと。
すべてが、出会いにより支えられてきたものでした。

「出会い」は偶然ではなく必然、そしてアンテナを広く張れば張るほども多くなるもの。
このコラムが、みなさまの出会いに役立つことを願い、最後とします。
ありがとうございました<(_ _)>

今後ともご愛読よろしくお願いいたします♪

※女性A、B、C、Dさんは、私の勤務先である(財)宮崎県国際交流協会の素敵なスタッフさんたちです。
2011-04-22 更新
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著者プロフィール


中西真伊子:タンザニアでJICAボランティア(青年海外協力隊)として2年間活動。
現地の中高生に対し理数科の授業を行った。2006年に帰国。2011年4月までJICA宮崎デスクとして活動。


■問い合わせ先■
JICA宮崎デスク 国際協力推進員 田佳予子 (Kayoko Sakita)
勤務先:(財)宮崎県国際交流協会 カリーノ宮崎8F
TEL:0985−32−8457
Email:jicadpd-desk-miyazakiken@jica.go.jp
URL:http://www.jica.go.jp/kyushu/
(※モバイルでは正しく表示されない場合がございます。 )




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