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みやざき考古楽
私たちは、過去を見つめてはじめて今日を知り、未来を見通すことができます。
宮崎の歴史や文化について、考古学の観点から分かりやすく紹介します。
 
No.20 宮崎県の埴輪(2)船形埴輪
東憲章 ( 県教育庁文化財課 )
 西都原古墳群出土の埴輪の中で、子持家形埴輪とともに国の重要文化財に指定されているのが「船形埴輪」である。一般的に「舟形埴輪」と表記されることが多いが、刳り抜き式の丸木舟を表す「舟」ではなく、「船」の字を用いるのが適当である。(重要文化財の指定名称は、「埴輪船」である。)
 前後に大きく反り上がった舳先を持ち、左右の舷側板には櫂を固定するための突起が各6ヶ所表現されている。つまりこの船は12人の漕ぎ手で航行するものである。この船の造りは、刳り抜き法で成形された丸木舟に、波除けの板を取り付けた「準構造船」と呼ばれるもので、外洋航行も可能な船を模している。

 船形埴輪で著名なものとして、三重県松阪市宝塚1号墳から出土したものがある。西都原の船を上回る140僂料ヂ里砲蓮貴人が使用したことを示す太刀(たち)や蓋(きぬがさ)、威杖(いじょう)の立ち飾りが伴っている。西都原の船にも船底中央に直径1.5僂留濆Δ穿たれており、何らかの立ち飾りが伴っていた可能性がある。(水抜き孔とする意見もある。)

 こうした船(舟)形埴輪が出土すると、その意味については2つの意見が示されることが多い。第1に、海や川への親近性であり、生前の被葬者が実際に船に乗り、海や川を行き来する職能を有していた、あるいは生活をしていたとする考えである。
 第2に、装飾古墳のモチーフとして船が描かれることが多いように、死者の魂を来世に運ぶものとして表現されたとするものである。
 研究者の間では後者の方が重視される傾向にあるが、西都原の船形埴輪は非常に写実的な造りであり、少なくともこの埴輪の製作者は、モデルとなる船を実際に見たことがある人物であろうと考えられる。

 この西都原出土の船形埴輪は、あるプロジェクトにより実物として復元された。
 平成17年に実施された『大王のひつぎ 実験航海プロジェクト』である。これは、熊本県宇土市近郊で採集される阿蘇溶結凝灰岩の馬門石(通称:阿蘇ピンク石)で製作した家形石棺が、畿内の大王墓(大阪府今城塚古墳や奈良県埴山古墳など)に採用されているという事実から、実際に石棺を製作し、熊本から大阪まで運ぶという、壮大な実験であった。石棺文化研究会、熊本青年塾、宇土市、読売新聞社等が主催し、九州や関西の考古学や造船の研究者が実行委員会を組織した。漕ぎ手としては、下関市の水産大学校のカッター部員が務めた。
 この実験で、熊本で作製された石棺を、イカダに載せて運ぶ際に、それを曳航する古代船のモデルとして、西都原出土の船形埴輪が取り上げられたのである。
 20年前にも古代船復元のプロジェクトが行われた。大阪府高廻り2号墳出土の船形埴輪をモデルとし「なみはや号」と名付けられた復元船は、1989年、大阪から韓国釜山までの実験航海を成功させていた。このなみはや号と西都原の船は、舳先の形状に大きな違いがあり、大きく口を開けたかのような「なみはや号」では、石棺のような重量物を曳航する上で推進力不足が指摘されていた。熊本から大阪までの長距離を、重さ数トンの石棺を載せたイカダを曳航するためには、船としての安定性と速度が必要だったのである。
 「海王」と名付けられた西都原の船形埴輪をモデルとした復元船は、見事に34日間で九州(熊本)から大阪まで石棺を運び、実験は成功した。
2008-12-24 更新
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