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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.49 山田匡得、二君に仕えず
前 田 博 仁 ( 宮崎県民俗学会副会長 )
 日南市歴史資料館に展示してある数多くの鎧の中に、大友宗麟から山田匡得へ下されたという鎧がある。

 天正5年(1577)薩摩島津氏に追われた日向都於郡伊東氏は、隣国豊後(大分県)の大友宗麟を頼って逃げた。宗麟は翌年日向国を領有せんと兵を送るが、小丸川(木城町)・耳川(日向市)の戦いで薩摩島津勢の猛攻にあい敗れる。飫肥伊東氏の重臣山田匡得(やまだきょうとく)は大友・伊東連合軍の将として、石ノ城(木城町)で戦い薩摩の将伊集院肥前守と槍を合わせその名を近国に広めた。
 伊東義祐・祐兵父子が伊予(愛媛県)に渡海後も豊後に残り、豊後国梅牟礼の城主佐伯太郎惟定の軍師となって度々軍功をあげた。

 天正15年(1587)3月17日には豊後と日向の境、梓峠の戦いで島津家久を追い詰めるが見逃す。それは伊東氏日向没落のとき匡得の妻子が薩摩におり、家久を殺害すると妻子に害が及ぶと考えたからである。
 大友宗麟は豊後における匡得の数々の軍功に感謝し、150町の地を宛がい召抱えようとするが、匡得は伊東家累代の家臣であり伊東家が飫肥に安堵されれば直ちに帰参する積りと言った。宗麟は匡徳の二君に仕えざるの心に感涙し秘蔵の鎧を授けたという。
『日向纂記』
2013-12-17 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員、県伝統工芸審議会委員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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