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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.111 日向路の伊能忠敬(1)中臣の大祓
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
 江戸後期、日本の殆どを歩き実測地図を作製した伊能忠敬のことを国民は誰しも知っている。この伊能は勿論日向国(宮崎県)にも訪れ、文化7年(1810)と同9年の2回、海岸部と内陸を測量している。

 文化7年4月2日、現在の大分県蒲江町波当津浦から北浦町古江の飛地茶切浜(波当津海岸)に入り、一帯の測量を済まして宮野浦に止宿、それから海岸沿いに延岡、細島、都農、日置、佐土原と南下し、4月19日新富町に泊まっている。
測量は先手と後手の2組に分かれ、5人1組の構成であった。22日の組合せは伊能、永井、簗田、上田、平介、別組は坂部、下河辺、青木、箱田、長蔵であった。メンバー構成は固定されず、日によって違うが、伊能と坂部は同じ組になっていないことから別組のリーダーは坂部と思われる。

 4月21日朝晴。先手後手とも朝6時前佐土原城下を出立。後手は伊能、青木、永井、簗田、長蔵。下田島村袋と広瀬村境から始め、石崎川、それより嶋津式部知行所である塩地村、山村を経て御料江田村海辺で先手と合流し測量した。測量距離は13.3km。石崎村や塩地村は佐土原領、山村は御料(幕府領)などの説明がある。住吉では「住吉浜白楽天ノ故事アリ」と書いている。これは「能」での話、唐の詩人白楽天が日本の智恵を計ろうと来るが、住吉明神が年老いた漁師姿で対応し、神風で吹き戻すというもの。
 坂部、下河辺、上田、箱田、平介ら先手組は、宮崎郡の延岡領下北方村の神武天皇社前より測量を始め、下北方村を測量し延岡領花ヶ嶋町、同大嶋村を経て、御料江田村、同村海辺まで測量して後手組に合流した。先手組の測量距離は6kmであった。下北方村は神武帝皇居の地で「宮崎」とも言い、延岡陣屋役所があった。延岡領宮崎の石高は2万4千石、24ヶ村あるなど説明がある。県名「宮崎」はここに由来する。両組とも12時頃江田村着き止宿。本陣は庄屋用左衛門、別宿は百姓久兵衛の家であった。伊能達は測量で行かなかった神武社を参詣、同村の景清廟を見て帰宿した。

 4月22日晴天。2組とも午前6時前江田村出立。伊能ら後手は江田村下海辺より測量を始め、御料新別府村、御料と飫肥領の境赤江川(大淀川)北端まで測量した。それから赤江川沿いに御料蟹町を経て飫肥領瀬頭を測量し、ここで先手組と合流した。
 この赤江川について、昔は「小戸の渡」と言ったとか、「中臣祓(なかとみのはらい)」に小戸とか橘と言うが、それはこの赤江川周辺の地名に由来している由と記している。
 坂部ら先手組は飫肥領田吉村の赤江川河口から対岸吉村の飛地である日高島を測量した。ここは福島村とも姥ヶ島とも言い、家(日高だろう)が二軒あった。次に飫肥領城ヶ崎町それより延岡領中村町を測量、中村町には街道(明治初期は鹿児島街道と言った)が通っていて対岸上ノ町との間は「大渡」という渡しで繋がっていた。川幅210m。
 延岡領上ノ町から飫肥領瀬頭で後手組と合流した。両組とも12時前城ヶ崎町に着く。本陣は梅香屋文平、脇宿は和泉屋善右衛門の家だった。
 先の「中臣祓」の中臣とは古代の氏族中臣氏で、天照が隠れた岩戸の前で祝詞を奏上した天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子孫と称し朝廷で行う祭祀を担当した。大祓の神事などは中臣氏が中心となって奉仕したから「中臣の祓」といった。
 大祓は6月と12月の晦日に万民の罪や穢を祓う神事、現在も宮中や全国の神社で行われる。伊能忠敬が聞いた中臣祓は「禊祓詞(みそぎはらえのことば)」のことで日向に関係する部分を紹介する。

 「高天原に神留(かむつも)り坐(ま)す 神漏岐(かむろぎ)神漏美之命(かむろみのみこと)以ちて 皇御祖神(すめみおやかむ)伊邪那岐之命 筑紫(の)日向(ひむか)の橘の小門 (おど)之阿波岐原(あわきはら)に身滌祓(みそぎはら)ひ給ふ時(後略)」

 筑紫は九州、日向は宮崎のことで、橘とか小戸、阿波岐原は大淀川近辺に地名として存在することを聞き、禊祓詞にある小戸・橘・阿波岐原が地名であることは知っていたと思われるが、赤江川近辺の地名であったこと知り改めて納得したのであろう。現在も「禊祓詞」は日本全国どこの神社でも神事の初めに奏上される。
2019-02-26 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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