ミテンの本棚 > 宮崎、歴史こぼれ話 | ||||||
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![]() ![]() 小村家の俳系は西雪−西粒−菊路−五明−明之と続きそれぞれ「二松亭」を冠した。これは菊路が植えた松が大木となり城ヶ崎では有名であったことによる。明之は幼少から父五明に俳諧を学び、父の俳諧仲間太田可笛を師とした。 ![]() 可笛の「我宿も富りむ露おく八重葎(やえむぐら)」、句の前書きにあるように藩が奨める殖産事業にも協力した。 南村家の俳系は梅雪−梅雨−如梅−梅家などがみえる。如梅は六郎兵衛といい梅雨の兄、梅雨の姉は小村五明に嫁いでいる。 寛政4年(1792)6月16日、高山彦九郎は南村六郎兵衛家に泊まるが、このとき六郎兵衛は先祖について、土佐国南村梅軒の出身であること、それによって代々梅の字を号とし、7代前の祖梅雪は泉州より城ケ崎に来たと話している。泉州は和泉国(大阪府)、和泉から来た商人は、文化7年(1810)伊能忠敬一行が宿泊した和泉屋のように和泉を屋号にした。 ![]() 東入口から奥へ約25m、横幅約5mの空間に2列、向かい合って並ぶ。右列は手前から小村家、奥に南村家、左列は手前が太田家、奥に3家以外の俳人らが並び、太田可笛、小村五明、同明之、南村梅雨らの墓碑が存在する。他に可笛などが建立した石経塚3基が存在する。 参考資料 甲斐亮典「城ヶ崎俳人墓碑資料」 山口保明「先達逍遥-杉田文庫から」昭和63年1月〜12月、宮崎日日新聞掲載 |
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2020-05-27 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、 (県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員 ![]() 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他 【共著】 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史』 『北浦町史』 『日向市史』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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