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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.133 上井覚兼も四半的を楽しんだ
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
 宮崎県民に親しまれる四半的というミニ弓道がある。的までの距離が4間半(8.2m)、弓と矢の長さが4尺5寸(1.36m)、的が4寸5分(13.6cm)。全て4.5。これが名称の由来となっている。

 都於郡(西都市)伊東義祐は飫肥を領有していた薩摩島津氏との間で40年に亘って戦っていたが、5度目の飫肥城攻めとなる永禄11年(1568)の戦いは、2万1千の大軍で城を取り囲み兵糧攻めとした。島津勢は都城から食糧を運ぼうと1万3千の兵を差し向けるが、このとき雑兵として戦に加わって農民たちが、真竹で作った即製の半弓で島津勢を威圧し、これが勝利に導いたとして義祐は娯楽で農民が半弓を持つことを許した(『日南市史』)と伝えている。

 四半的が史料に出てくるのは天正11年(1583)8月9日の上井覚兼日記で、「此日、四半(的)加治木宮内少輔仕候也」、同年同月11日にも「此日之四半(的)、又加治木宮内少輔仕候也、夜的にて種々戯候(略)」(※1)などと、上井覚兼らが四半的をして戯れたと記述してある。雑兵が半弓で敵に射かけた年代と、覚兼らが四半的を楽しんだ年代とほぼ同じで言い伝えと矛盾しない。

 平成2、3年頃保存会結成の機運が高まり区長会で話し合った。協議内容の一つに東京在住の伊東祐昭公に名誉総裁になっていただけないだろうかということで、剣道の全国大会が東京で行われる機会に、役員が伊東邸を訪問し趣旨を説明、伊東公は快諾された。

 飫肥地区に24支部、会員200名が結成された。試合は1チーム5人で10射3セット、つまり1人30射で競う。優勝賞品は銘柄「四半的」焼酎3本と決まり、大会は1月初的、飫肥公民館。3月桜祭り大会、西公園。5月5日乱杭野的、乱杭野。7月五百禩神社大会、五百禩神社。8月寿太郎祭、観光駐車場。12月納め的飫肥公民館となった。

 宮崎県は四半的をスポーツに位置づけ、競技中の飲酒は禁止、安座でなく正座で的に向かうことと決めた。
 愛好者は日南市内に留まらず県内各地に広がり、県外でも行われている。

※1『大日本古記録 上井覚兼日記上』東京大学史料編纂所
※伊東義祐 永正10年(1513)〜天正13年(1585)
 中世伊東氏の全盛期から没落期の都於郡城主。伊東48城の大勢を築いた。9歳の嫡子観虎丸を亡くし出家して三位入道と称す。永禄3年(1560)義益に家督を譲るが、義益が急逝し再び国務に戻る。天正5年(1577)逆臣により薩摩島津氏に追われた。(『宮崎県大百科事典』)
※上井覚兼 天文14年(1545)〜天正17年(1589)
 戦国時代の武将、薩摩島津義久の家臣。天正5年島津氏が日向一円支配、同8年宮崎城主に任ぜられた。(『宮崎県大百科事典』)
2020-12-22 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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