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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.106 旅人の宿泊を禁じた藩
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会副会長 )
 江戸時代後期、日向国内でも多くの旅人が往来していた。商用とか伊勢参りなどの寺社参詣など、目的をもって旅する者の他に、虚無僧とか山伏、行者、六十六部など日本を廻国している者、乞食や非人など得体のしれない者もうろついていた。
 日向諸藩はこれらの者たちの宿泊や逗留に対して規則を定め制限していた。

 延岡藩は文化15年(1818)5月と嘉永元年(1848)10月に、旅人の通行や宿泊について届けるよう通達を出している。
 文化15年の通達は、旅人が通りがかって一宿を希望した場合、村役人に断って泊めさせること、また、逗留する場合は村役人へ逗留を願いを出させ許可を得てから逗留させることとある。

 嘉永元年(1848)に出された通達は、旅人がやむを得ない事情で3日を過ぎる逗留をする場合は、来た理由を聞き人柄を見極めて泊める家を申し付けること、病気や怪我などで逗留する場合は、それまでの御達しや指図に従って泊めること、付け加えとして諸々の勧進や物貰いの類が入り込んだ場合は、規則通り村に入れてはならないとある。

 元治元年(1864)、延岡藩高千穂郷(高千穂町)の五人組帳に不審な者を見かけた場合の取扱いが記されている。
 堂や宮、山林を紛れ歩く不審な者を見付けた場合は、捕えて置き役人へ報告すること、若し捕えることが出来ない場合は、人を付け行く先々の村へ届けるようにすること、見逃したり聞き逃したりして、後日それらが悪事を働いた場合は処罰されることもあり、さらに法師・虚無僧・山伏・行人・乞食・非人等に至るまで、素性が知れない者に一夜といえど宿を貸すことは出来ない、その他村中の堂や宮に泊めることも出来ないというものであった。

 高鍋藩も無断で旅人に宿泊をさせること禁止している。
 正徳2年(1712)2月のお触れ。旅人が泊まる場合は町奉行かその所の役人に届けなくてはならなかった。許可なく二夜泊めた場合は規則に背いたとして罰を申し付けるというもの。木戸口で鉦をたたき物乞いする者などは宿を貸してならないとか、堂や宮に泊まることを許してはならなぬというものであった。

 佐土原藩安宮寺住職の野田泉光院は日記に次のように記述している。

 文化9年(1812)9月3日、佐土原を発ち、延岡領宮崎や飫肥藩など日向国を南下、9月13日に飫肥藩榎原(日南市)を出立した。榎原を過ぎるとすぐ高鍋領の飛び地福嶋(串間市)となる。瀧の権現を参拝して麓に下りると八ヶ谷という村に出た。
 日も西方の山に落ちたので一夜の宿を求めると、ここは旅人を一晩も泊めることは出来ないし宿も一軒もないと言う。ここより一里下れば海辺に辻堂や山伏の家があるので、そこへ行きなさいと言う。そこを何とかして欲しいと談判していると、鬼瓦を見る様な顔付きの大男が来て礼儀知らずの言葉で、各々方(泉光院と従者平四郎)は宿が無いようだが、ここ(福嶋)は御上より厳しいお触れが出ていて、勝手に旅人を泊めること出来ないので難儀されているのだろう。自分の家は狭くむさ苦しいが一夜のことだから我慢すれば、役所には内緒で泊めてあげようと言った。恐ろしい顔つきの大男だけどついて行き一宿した。その男は休助と言った。

 似たような事例が長崎でもあった。同年12月10日、宿泊を当てにしていた人物がいなく、日は西の海に沈み雨は頻りに降り、どこに行ったらよいか茫然としてしていたら、(近所の)主人が言うには、ここ長崎は旅人が泊まる旅籠屋が定まって居るので、勝手に泊めることは甚だ難しく、貴方たちも旅籠へ行かれることが良いと言う。
 船旅籠町の旅籠はとても遠方という由、方角も分からない所を夜中尋ね廻ることは心細く、この辺で一夜の宿をしてくれる所はないだろうかと訊ねた所、ここから奥に龍山と言う所があり、そこには廻国六部体の修行者を泊める家がある、その方へ行かれると良いと言うの訪ねと行くことにした。3丁(300m余)ばかり山を上ると、村入口に3、4軒宿があり宿泊を頼んでも断られ、仕方なく休息して思案していた所、年齢40ばかりの大男が近寄り、各々方は何処の国の人か、見れば老僧さぞかし困っている事だろう。我が家は粗末だが今夜泊めてあげようと言う。地獄で地蔵に逢うというはこのようなことであろう。

参考資料:「延岡藩在方法度覚」、『宮崎県史史料編近世3』「指上申五人組手形之事写」『宮崎県史料第二巻高鍋藩拾遺本藩実録』、『日本九峯修行日記』
2018-09-25 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会副会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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