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みやざき風土記
県総合博物館・県文化課・県立図書館で民俗や文化財、郷土史料等専門的業務に長年従事した専門家が、風土や風俗、伝統芸能、地域史など宮崎の文化を分かりやすく紹介します。
 
No.99 子どもを拉致した飫肥藩(2)
前田 博仁 ( 宮崎県民俗学会副会長 )
 天保9年(1838)12月20日、飫肥領折生迫湊(宮崎市)に八反帆(200石積)の飫肥藩船が入港した。船頭は伊助(40歳位)、水主(かこ)2人。この船は人買い、人さらいの船であった。乗っていたのは「よし」(26歳)という女をはじめ「なお」(6歳)など9名であった。これについて高千穂五ケ所庄屋矢津田喜多治の日記、天保10年正月12日に次のように書き留めてある。

伊予国小松領はんぎう村 よし 二十六才
安芸宮嶋        常吉 二十二才 愚人の由
  同断        由―  十二才
  同断        友吉  十五才
  同断        たけ  十九才
  同断        はつ  十四才
同国福しま       なか   八才 折生迫庄屋ニ売れ申候
同国草津        なお   六才
国不知 長門か柳井    茂吉  十五才
 〆九人奪い取られ候由申し聞け候

「奪い取られ」とあることから、暴力をつかって強引に拉致されたことが想像できる。先の伊勢参り途中、甘言によって拘引された12、3歳の少年たち(みやざき風土記no98)と違って、「よし」は26歳、「たけ」が19才であることを考慮すると、「飫肥へ行けば毎日白い飯を食わせる」など甘言に騙される年齢ではない。暴力をふるい手足の自由を奪って船に乗せたのであろう。折生迫湊は宮崎観光を代表する青島と同地区、松浦武四郎は「折生迫といへる湊は人家千餘軒ばかり。此邊にてハ繁昌の地にて、常に薩州の廻船帆柱を●(なら*1)べて舟がかりなせバ、酒店、妓楼もありて晝夜賑かなり」(『西海雑志』)と記している。武四郎が日向国を旅したのは天保8年(1837)であるから、飫肥の人さらい船が入港した年と同年代、繁昌した湊町の裏では人買いなど暗部もあった。ここで8歳の「なか」は庄屋に買われている。子ども内は子守や飯炊きなどをさせ、年ごろになると船乗り相手の飲み屋、妓楼で働かせる積りなのであろう。他の子ども達は峠を越え内海へ。内海からは七浦七峠と呼ばれる鵜戸神宮往還、鵜戸参詣の多くの往来があった。七浦七峠の難所で「よし」と「はつ」は逃亡、船頭らは直ちに跡を追ったが見失った。後日、高千穂で保護されたとき、脱出できた訳を鵜戸参詣帰りの佐土原の者数人に出会って救われたと言っている。
 飫肥藩は杉植林に重きを置いていたので、山中を女二人が逃げ隠れして歩いていると山林関係役人や村人に見つかり、関所破りとして通報されたであろうし、七浦の一つ鶯巣(おうさ)には飫肥藩3大関所の一つがあり、手足や顔などにひっかき傷のある女二人連れは怪しまれることになったであろう。幸いにして鵜戸参詣帰り者たちに紛れさせて貰い、無事飫肥藩を脱出できたのである。
 天保10年正月5日延岡領高千穂岩戸村野方野(高千穂町岩戸)に二人の乞食女が辿り着いた。人さらい船の船頭から逃げた「よし」と「はつ」であった。役人が見咎めて追立てようとし、事情を聴いて驚き大庄屋へ連れて行った。大庄屋は文政13年(1830)細島湊で発覚した飫肥人買い船の件を知っており、二人に同情し送り状を書いた。

一、送り状之事
 伊予国小松御藩はんぎう村   水野文五郎娘 よし
 安芸国宮島浜辺       北ノ町由五郎娘 はつ

 右のもの共去る戌十二月はからずも賊船に奪われ、海上に数日を送り候処、
 同十二月二十二日日向国飫肥御領折生迫と申す所に着岸致し、上陸致させ、
 飫肥御城下へ連れ越し候途中より逃げ出し、同所近辺所々逃げ隠れ、漸
 (ようよう)当正月五日当村の内、野方野門(のかたのかど)役場へ参り掛け、
 一宿いたさせ候処、一銭の貯えもこれなく、その上女の身、途中にても
 甚だ難渋の事のみ多く、本国まで数十里の間海陸無事に帰国の程覚束なく、
 国々御役人様御慈悲を以て、恙なく帰国致したく御取計い下され候よう歎
 き出で、不便(ふびん)の至りにつき、送り状添え申し候。
   国々宿々御難題ながら御慈悲の思召しを以て、本国へ御送り届け下さ
 れ候よう仕り度御座候。尤も路用一銭の貯えもこれなく候間、行き暮れ
 候節は土宿(土間に寝かせる)等の儀宜しく御取計い度、御頼み申し候。
 猶、委細当人ども口上にて申し述ぶべく候
 条、送り状相添え申すところ斯くの如くに御座候。以上
                     日向国延岡領
  亥正月十日               高千穂岩戸村大庄屋
                       土持霊太郎 印 (後略)

 2人は数日ゆっくり保養させてもらい、正月10日四国巡礼の姿で発ち、五ケ所村庄屋矢津田喜多治の門先に立ったのは12日であった。喜多治も温かい情けをかけて一泊させ翌朝雪深い国境の山地を越えて行った。(『宮崎県近世社会経済史』)

 天領細島湊で発覚した人買い船一件、高千穂で保護された飫肥から逃れてきた女2人、これらは運が良かった。逃げられなかった者たちは飫肥領内で農奴として使役に供され、「奴」と呼ばれる被差別身分に落とされ生涯人間扱いはされなかったという。さらに男奴と女奴に間に生まれた子どもも同様に奴として扱われたと伝える。


*1「なら」はと書く。
2011-12-06 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員

【著書】
『鵜戸まいりの道』(私家版)
『歩く感じる江戸時代 飫肥街道』(鉱脈社)
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史 民俗編』
『北浦町史』
『日向市史』
『角川日本地名大辞典 宮崎県』(角川書店)
『郷土歴史大事典 宮崎県の地名』(平凡社)
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