雪江〜宮崎の戦国女子〜
某大河ドラマでは、徳川二代将軍・秀忠の正室であった江姫にスポットがあたっています。
戦国時代に我が宮崎にはどんな女性がいたのか?
女性に関する歴史的資料が少ない中、宮崎の歴史に詳しい宮崎県民俗学会副会長の前田先生のご協力をいただき、戦国武将の妻・雪江という女性にまつわるお話をご紹介します。
 
稲津掃部助の妻 雪江
戦国の世、藩主の妻に呼び寄せられた母について周防国(すおう・山口県)から日向国飫肥藩(宮崎県)へとやってきた雪江(ゆきえ)。その後、母は、飫肥・伊東氏に仕える川崎大膳の後妻となったため、雪江もその養女となった。
雪江が伊東氏の家臣である稲津掃部助(いなづかもんのすけ)へ嫁いだのは14・15歳の頃であったといわれる。19歳の頃の朝鮮出兵などで名を上げた掃部助は、25歳の時に清武城の城主となっていた...
稲津掃部助(イメージ)
[資料提供:宮崎市教育委員会]
前田先生
WEB課外授業
 
やさしくわかる、宮崎の歴史
 
〜戦国時代編〜

 
Vol.3 掃部助の妻 雪江
 
 
動画公開スケジュール
 
 
関ヶ原戦の時宮崎では・・ 
(15:18)
4月28日公開
 
宮崎城を掃部助が攻める!
(13:54)
5月25日公開
 
夫と運命を共にする雪江・・
(14:18)
6月27日公開
前田先生にチャレンジ!復習クイズ!!
全問正解で60ポイントGET!
問題1
 
正解すると10ptGET!
 
問題2
 
正解すると20ptGET!
 
問題3
 
正解すると30ptGET!
雪江が生きた時代、関ヶ原での決戦を中心に全国で戦が行われた。この「関ヶ原の戦い」が起こったのは西暦何年?
 
稲津掃部助の宮崎城攻めで敗れた延岡藩の権藤種盛。後に建てられた墓はどこにある?
 
掃部助の妻・雪江が飫肥へ帰る途中、事の真相を知って引き返したという場所は?
(A1) 310年 (A2) 1310年 (A3) 1600年
 
(A1)生目神社 (A2)直純寺 (A3)帝釈寺
 
(A1)飫肥城大手門 (A2)山仮屋関所
(A3)椿山森林公園
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前田先生プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
1942年宮崎市生まれ 宮崎大学学芸学部卒 県内小学校、宮崎県総合博物館、県文化課、県立図書館、宮崎市生目台西小学校校長等歴任、定年退職後きよたけ歴史館館長
現在、宮崎県民俗学会副会長、清武町史執筆員
★前田先生のコラムでより深く宮崎の戦国時代を学ぼう!


雪江の足跡をたどる
 
ちょっと一休み 〜近隣のお店をご紹介〜
 
 
<清武編>
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