が動かない・・捨て猫の’ちび’

今回の特集で取材した’ちび’ちゃんは、まだ目を開けない
汚れた状態で、田上さんに拾われました。

最初は普通の捨て猫だと思い、ノミにまみれた乳飲み子の
「ちび」をある程度まで大きく元気になるまで育てようと思い
取りあえず家へと連れて帰りました。

しかし、お風呂に入れているときに、猫特有の動きがなく
とても困惑して、病院につれていくと下半身の生育不全と
言われました。つまり、下半身があまり動かない状態です。

然の出会いはハンディキャップを抱えた目も開いていない仔猫。

「私が助けなくては誰がこの子を助けられるんだろう??」
「どうしよう・・・」 「わたしに育てることができるのか?」

今思えば、あの時は不思議と何かにかられる想いで
共に暮らすことをきめた気がします。

当時、私はすでに4匹の猫と暮らしていたこともあり、
その子たちと「ちび」が上手く暮らしていけるのかとい
うことと、自力で排泄できないことが最大の不安と
悩みでした。

おむつ生活にたどり着く一ヶ月くらいは排泄機能が
ダメだったので「ちび」にはケージの中で生活しても
らっていました。しかし、目が見えるようになるとケージ
の外の他の猫たちと遊びたそうに鳴くので、結果として
遊ばせる為にたどりついたおむつスタイルでした。
それがすべていい結果を成してくれました。
むつをすることで遊ぶ・・
遊ぶことがリハビリになり、お腹も空く・・食欲も出て
排泄で健康管理もできるようになりました。

ハンディキャップのある「ちび」に出会い、共に暮らし
つつ考えたことはきりがないほどあるのですが、一つ
強く感じるのは 『「知らない」ということが何でも「不安」
を生む』ということです。

私は「ちび」に出会うまで健常な猫の存在しか知らな
かった。だから出会ったことすら後悔するほど不安で
「ちび」の存在も不憫で不幸のものだと思っていました。

でも「知る」ことは「当たり前」になり、ごく普通の日常で
あることに気づかされた気がしています。

ハンディキャップをどう考えたか?というよりハンディ
キャップを当たり前にしてくれた存在「ちび」に今は何だか
とても感謝しています。

疑わず「大丈夫」!と強い心を持って 「 知る 」。

そして進むことを「ちび」が教えてくれた気がします。


び」は確かに他の猫たちより少し体力が無いようで
三ヶ月に一回は必ず体調を崩し病院通いしなくてはいけない状態です。

でも不思議と私にはその体調が悪くなる予兆も感じられる
ほど、共に生活してきた七年は充実した時間のような気
がします。

猫は言葉というコミュニケーションツールを持たない分、
いろんな仕草や表情で私に語りかけてきます。だから、
私は言葉をつかって私の気持ちや想いをきちんと伝える
ようにしています。

朝の「おはよう!」、仕事前の「行ってきます!」、
帰宅後の「ただいま!」、はもちろん・・・。
我が家の猫たちにはたくさんたくさん語りかけるように
しています。

実際、ちびたちがその言葉を理解しているのか確かめる
ことはできないのですが言葉のイントネーションや繰り
返し同じ場面で使う言葉を記憶しているのか?など、
反応してくれるのがとても楽しいのです。

「もう寝るよ!おやすみ」と話すと、わかっているのか
電気を消すと一緒に寝に入ります。

「ごはん??」と聞くと、食べたいときには台所にやって
きます。

最近では「かわいいね」の言葉を知ってのことなのか
「ちび」に限っては写真のように仰向けに寝て「かわい
いね」の言葉を言ってもらうためにその仕草をしている
ようです。

猫が苦手な人からは、こういうことを言うと「んなわけ
ない!!」と笑われてしまいますが、私の今のちびや
猫たちとの暮らしは同じ目線の共同生活・・
いや、家族なんです。

今のちびとの暮らしは一日2、3回のおむつ交換以外は
健常な猫と何も変わらない生活です。

人間の子供でおむつを七年もすることはそう無いと思い
ますが・・もう七年も「ちび」はおむつと仲良しさんです。

これからもまだまだ続けてもらわなきゃいけないけど
頑張ろうね!「ちび」!

未だ、「ちび」はおむつの交換時間はお好きではない
ようで「おむつ替えようか??」と言うとそそくさと、どこ
かへ隠れようとしますが・・・


店にはペットに関する便利グッズが開発されていますが、未だ動物の介護に関するグッズが
少ないのが現状です。そこで不器用な私は既存の物を代用し、なんとかちびとの暮らしを快適に
過ごすことができています。是非、参考にしてください!!

人間赤ちゃん用の紙おむつ/人間老人用尿取りパッド/人間赤ちゃん用のおむつカバー/子供
用サスペンダーは、保護当時、動物用のおむつなど販売が無かったため代用として使用しました。




きらめない命

ちびとの出会いでつくづく感じた命という存在。
命は常にあきらめないということ。

保護したとき、ちびはまだ乳飲み子で目も開いていないし、
体中もノミだらけでかなりの衰弱ぶりでした。

私は一瞬、「あ?もうダメかも・・」とも思ったけど、ちびはあ
げた牛乳を懸命に舐めて、お腹いっぱいになったのか
私が手のひらで包むと安心したかのようにスヤスヤと
眠りはじめました。

「食べて生きること」を・・こんなに小さいのに頑張ってる!
すごい!すごい!頑張れ?」と心から願ったことを思い出し
ます。

人は苦難に陥った時、どうしてもあきらめる気持ちが働く
生き物ですが、動物はどんな時も生きよう!生きよう!
とあきらめないんですよね。

ちびも歩けない足にもめげず、他の猫と同じようにジャンプ
しようとしたり、高い所へ行こうとしました。
さな命

よく赤ちゃんや動物の命のことを『小さな命』と言いますが、
ただ言葉の表現であったとしても「全然小さくなんてないよ?」
って大声で叫びたいです。

だってどんな命も、今ここに命在ることはただただ大きな
奇跡。生きる道に万が一あのとき違う「IF」(もし)があった
ならここに命は無いのかもしれないと思うと、存在そのもの
すら不思議で出会いにも大きな意味を感じてしまいます。

ちびが命を持って教えてくれたこと、それは生まれくる命は必ず意味を持ち、メッセージを持っていること。

共に生きる者はその命をメッセージに変えて受け取り共に
生きて何かを感じ、共に生きる時を大事にしてゆくこと・・・

その意味こそ『命のメッセージ』なんだと強く感じています。

わたしにとっては「小さな命」・・なんてどこにもない!
どんな命だって、今、ここに在ることが大きいのだから」と。
えない命 〜ペットロス〜

私もちびもいつか誰しもが平等に迎える『死』。
どうしても『死」は「失う」ことだけにとらわれがちです。

私もちびに出会う前から共に暮らした命を何度と見送り、
その度に悲しみの中に心とらわれ「何故死んでしまった
のだろう・・」そんなことばかりを考えていました。

でもあるとき、アニマルコミュニケーションという動物とテレ
パシーを持って会話のできる方にお願いをして、星になっ
た猫の気持ちを聞くことを試みることにしました。

すると、そこで聞けた猫の気持ちは「悲しみ」ではなく「しあ
わせだったよ!」「感謝しているよ」。そして本当にいまでも
見守ってくれていること・・・でした。

いかんせん、今で言うスピリチュアルな世界の話になるの
で信じない人は信じない話かもしれませんが、そのメッセー
ジは私と過ごした猫と私にしかわからない事実を語ってきた
のです。

私たちより命短い動物は人より先に示し、それは『失う』
悲しみだけではなく同時に『何かを得る』ことができること
を喜びにも変えていかねばならないことを伝えてくれて
いるように思います。


様、本当にありがとうございました。

ほんとに、猫という動物に生き方をまなばせてもらってい
る私ではありますが、もしも、「ハンディニャンコねぇ?」と、
共感ならずとも頭の片隅にでも留めていただけたなら、
幸いです。

そしてこの世に「共に生きる命の大切さ」があること心に
置いてくだされば嬉しい限りです。

これからも世の中のニャンコが最期の時までしあわせで
いられるようにと願いつつ・・・。

御協力:田上香代子様(HPはこちら